what we told ourselves

2026年1月17日(土)– 3月7日(土)

KOTARO NUKAGA(天王洲)

KOTARO NUKAGA(天王洲)では、2026年1月17日(土)から3月7日(土)まで、森本啓太による個展「what we told ourselves」を開催します。 

バロック絵画や20世紀初頭のアメリカン・リアリズムに見られる視覚言語を参照して制作を続ける森本は、街灯やネオンサイン、自動販売機といった人工光を強い明暗法で描き出し、光と影の対比を通して現代都市のありふれた風景に潜む一瞬の物語を静かに浮かび上がらせます。描かれる人物との距離を縮めることにより親密な空気感を描き出したKOTARO NUKAGAでの前回の個展、「A Little Closer」から2年半の時を経て、森本の視線は再び街角へと向けられ、名もなき場所を現代社会の複雑さが交錯する舞台へと変容させます。  

以下に、森本が2025年に個展「what has escaped us」を開催した館でもある、金沢21世紀美術館シニア・キュレーターの野中祐美子が本展に寄せたテキストを掲載します。 

 

 

 

Night Shift
森本啓太《Night Shift》2025
森本啓太《Night Shift》2025, 部分

森本啓太は16歳でカナダへ移り住み、30歳を過ぎた2021年、コロナ禍の日本へ帰国した。帰国後は、夜の街とそこにたむろする若者たちを主なモチーフとして描いている。夜か明け方、夕方の街の様子はいずれも森本がフィールドワークの中で撮り溜めた写真から抽出する。ある街の様子をそのまま描くこともあれば、幾つもの街の要素を組み合わせて空間を作ることもある。そこに、身近な友人たちを撮影した写真からモデルを選び画面に配置して、実在の風景と人物が切り貼りされたコラージュのように組み合わされていく。都市に存在する人工光は、思い思いに夜の自由な時間を過ごす若者たちを照らし、今では少なくなった電話ボックスや自動販売機が自ら光を放ちながら暗闇の中でぼんやりと浮かび上がるように描かれる。人間と機械が、共に闇の中である種のエネルギーを内包した存在としてフォーカスされる。 

 

森本の絵画は、リアルなその描写力と完璧な構図から非の打ち所のないものに見えるかもしれないが、同時に妙な違和感を覚える。完璧であるようで、どこか不自然にも見える彼の絵画が私はずっと頭から離れないでいた。それこそが、彼の作品の大きな魅力なのではないかとさえ考える。 

森本は「絵の中に不安要素が欲しい。そこにいそうでいない人物を描きたい。」と述べる。さらに、「どこにいても、自分と場所とのあいだに微かなズレのようなものがあった。その違和感が、自分の視点や制作の原点になっている。」とも語る。16歳という多感な時期に言語も文化も異なる土地で生活を始めた森本にとっては、常にズレや違和感の連続であっただろうし、日本を長く離れていたことで、日本社会の中で生活することに多少なりとも違和感を感じざるを得なかったはずだ。そうした、自身の経験に基づいた周囲との差異が絵画に影響していることは間違いないのだが、もっと本質的に森本の根底にある安定を求めない性分も大きく影響しているようだ。 

森本は、高校進学の段階で日本を離れる決断をしたが、それはこのまま日本の高校、大学へと進学し、社会人になるという将来の見通しが立ってしまうことへの恐怖や失望のようなものからだった。そして、15年余りのカナダでの生活に終止符を打ったのもまた、カナダでの先の未来がなんとなく見え始めてしまったことがきっかけだと言う。通常であれば、人というのは安定や安心を求めがちだが、森本はそうではなく、まだ知らぬ自分、予期せぬ未来、まだ見ぬ世界、そうした自分の想像の範囲を超えた世界への探求と好奇心が制作の原動力となる。 

周囲への違和感やズレという感覚は、森本にミシェル・フーコーが提唱したヘテロトピアの思考を自覚させ、制作の大きなテーマともなっている。ヘテロトピアは、現実に存在する具体的な空間だが日常的な規範に対して異他である空間を指す。フーコーはいくつかの具体的な場所を例に挙げるが、その中でも鏡と船についての考察が森本の絵画を考える上で興味深い。 

鏡というのは、そこに写りこむ全てのものは虚構の存在である。その虚像のおかげで、鏡を見る者は本来不在の場所において自分自身やその周囲の世界を把握することを可能にする。それは、非現実の空間(ユートピア)であると同時に、異他の空間(ヘテロトピア)でもある。なぜなら鏡は実在している上に、鏡の向こう側という仮想的な場所を通して現実の場所に作用し、それを見る「私」は自分の位置する場所やそれを取り巻く空間を把握し、自分自身を再構成する。森本の絵画もまた、鏡のように見るものにその虚構の、あり得たかもしれない自分に気づかせてくれる。 

さらに、フーコーはヘテロトピアに関する論文の最後で、船は「漂う空間の切れ端であり、場所なき場所であり、それ自身で存続し、それ自身で閉じていると同時に無限の海に委ねられ、港から港へ、ひとつの航海からもうひとつの航海へ、ひとつの閉じた家からもうひとつの閉じた家へと渡り歩いて、すばらしい富」を目指すという点において「最も重要な想像力の貯蔵庫」であると定義する*1。森本は、大海を漂うように都市を彷徨い、場所なき場所を描き、見えなかったもの、気づかずに過ぎ去った瞬間に焦点を当て、世界を捉え損ねることでまた別の現実を創造する。森本の絵画は船の如き想像力の貯蔵庫と化す。 

 

私が森本の絵画と出会い感じてきた妙な違和感は、彼自身が感じ意識的に生じさせていたズレや余白であり、それは同時に見る者と絵画の間に交感ないし交流という経験を促す。微細な風景の描きこみやリアルな人物描写、ドラマチックに照らす光の表現。まるで具体的なストーリーや出来事を下敷きに描かれているような画面だが、彼の絵画にはそうしたものは一切ない。森本の絵画は、何かを伝えようとするのではなく、見る者に何らか作用し、見る主体である「私」が絵画に自己を投影する。そうして、私たちはもう一人の自分の物語を想像し始めるのだ。 

*1 ミシェル・フーコー「他者の場所―混在郷について」『ミシェル・フーコー思想集成Ⅹ倫理/道徳/啓蒙』工藤ほか筑摩書房、2002年、287 

 

野中 祐美子(金沢21世紀美術館 シニア・キュレーター) 

 

 

本展「what we told ourselves」では、大型の絵画作品群に加え、森本が初めて挑戦するインスタレーションを展示します。森本作品を現実世界に延長したような展示空間は、彼が描き出す「世界を捉え損ねた」という感覚を、より没入的に体験させる試みです。作品を前にした鑑賞者は「何かを見逃している」という印象を自覚するかもしれません。その体験は、見逃したものを補うように私たちが自ら作り上げ信じてきた物語や虚構—”what we told ourselves(私たちが自分に語り聞かせたこと)”をも露わにするでしょう。 

開催概要
what we told ourselves

アーティスト

会期

会期: 2026年1月17日(土)– 3月7日(土) 開廊時間: 11:30 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊 オープニングレセプション: 2026年1月17日(土)16:00 – 18:00 ※森本啓太が在廊いたします。

会場