ひとり

2025年3月19日(水)– 4月19日(土)

KOTARO NUKAGA(六本木)

KOTARO NUKAGA(六本木)では、2025年3月19日(水)から4月19日(土)まで、松川朋奈による展覧会「ひとり」を開催します。本展は、社会における女性への眼差しと、一個人としてのアイデンティティの乖離を捉えた2023年のKOTARO NUKAGAでの個展「Dear」でのテーマをさらに掘り下げ、精緻に展開するものです。社会的役割や他者の視線から解放された「ひとり」の在り方を探る、松川の近年の試みを紹介します。

展覧会タイトル「ひとり」は、孤立や孤独といった「他者の不在」を意味するのではなく、むしろ個としての自立や静かな強さを内包すると松川は述べます。20代の頃、主に男性からの視線を受け、社会に求められる女性像を無意識に内面化していたと振り返る松川は、30代半ばにして、性や年齢といった社会的ラベルを離れ、「自分とはなにか」という問いに向き合うようになったと語ります。

松川は作品の画題を選ぶ際、独自の取材方法でインタビューした人物から得た話を元にすると言います。ときには見知らぬ人に街中で声を掛け、長時間にわたってそのの人生について話を聞くという松川は、インタビューの中で出た話を記憶しては、後日、印象に残った言葉や物語を思い出す形でイメージを選んでいきます。一見するとオーラルヒストリーやナラティブ・インタビューといった研究手法を想起させる制作プロセスですが、松川にとってこれらの言葉や物語は、学術的な記録ではなく、あくまで主観的なインスピレーションの源泉として機能しています。

この方法は20代から一貫して続けてきたものであり、作品に浮かび上がるテーマは制作時の松川の個人的な関心や疑問と連動することが多く、「様々な年齢の方のインタビューをするが、結局、同世代の声を取り上げることが多い」と松川は語ります。その結果として、画面に現れる人物は他者でありながら、同時に非常にパーソナルな側面も帯びています。2011年に多摩美術大学を卒業して以来、画家として活動する一方で、娘・妻・母といった女性に求められる社会的役割について考え続けてきた松川。本展の「ひとり」というテーマが作品に登場する人物の物語と結びつくのは、いわゆる不特定多数の個人史としての絵画とは異なる説得力を持ちます。

たとえば、《そうしているうちに、もうすぐ8年になる》(2025)では、誰かが振った手がカメラのブレた映像のように残像として描かれています。その背後には、強い日差しを受け、くっきりとした輪郭で描かれた扉が対照的に存在しています。本作の着想のもととなった女性は、かつて母親と「ピーナッツ親子」[i]のような共依存関係にあったと松川は語ります。やがて彼女が母から自立したとき、最も印象に残ったのは、別れ際に手を振る母の姿ではなく、その背後にあった扉だったというエピソードが、本作の出発点となっています。愛憎が入り混じった母との関係からの解放が、旅立ちや境界を象徴する扉のイメージと結びつくこの物語は、「ひとり」という自立した自分を獲得する瞬間が、思いがけない些細な気づきの中にあることを示唆し、残酷にも等身大な自立の背景を浮かび上がらせます。

また、《私は今夜、誰かと一緒にいたのだろうか》(2025)では、単身向けアパートに見られる小さなキッチンの流し台に、使いかけのワイングラスやコップが放置された様子が描かれています。飲み物の残るグラスの数々は、ホームパーティーの余韻を思わせる一方で、人々の気配が消えた後の静けさを画面に漂わせています。無造作にグラスの中へ捨てられた一輪の白い花とともに、時間静止した感覚を観る者に訴えかけるこの作品には、松川を象徴する画面の”静けさ”が際立ちます。「誰かといる時間」が、ふと気づけば「ひとりでいる時間」に変わる——この感覚は、多くの人にとってなじみ深いものであり、強いノスタルジーや焦燥感を呼び起こすこともあるかもしれません。

 

松川の絵画は、写真のように精細で”写実的”でありながら、光や色彩が細かくコントロールされており、ときに映画のワンシーンや広告の断片を思わせるような構成力を持ちます。SNSのフィルターを通じた現代の視覚体験とも共鳴し、単なる現実の模倣ではなく、松川独自の視点で再構成された「物語」として観客に提示されます。このあり方を、松川は、写真と比較して絵画の「フィクション」と呼びます。

本展「ひとり」において、松川はフェミニズムの文脈で容易に消費されてきた自身の作家像の更新を表現します。フェミニズムというテーマは、しばしば「他者と自身がどう関わるべきか」という範囲でしか理解されない側面があります。しかし、松川の「フィクション」としての絵画は、ドキュメントやアーカイブ写真とは異なり、観る者に多様な解釈を許し、観客自身の投影を促す装置として機能します。そこには、インタビューを通じた他者の視点切り取る作家の視点、そして作品を前にした観客の視点という三者が、ハイ・フィデリティ[ii]な画面演出によって立ち上がっています。観客による俯瞰でさえ作品の演出になってしまう画面の舞台性は松川の作品の魅力であり、女性性の文脈を個人という普遍性へと導く、作家の美術実践といえるでしょう

ロザリンド・クラウスは『視覚的無意識』(1993)で、「写真のイメージは所詮、切り取られた身振りであり、内的な生命を奪われている。しかし絵画の静けさと静止は、視線による包括的な把握に真に対応するものである(筆者訳)」[iii]と述べています。クラウスが「視線による包括的な把握」と表現するのは、人間の目が被写体の動きを“追い越し”、それを「一つの意味を持つイメージ」として捉え直す力です。これは単なる時間軸の問題ではなく、時間を絵画という刹那的な表現の中で無限に引き延ばし、その内にある意味を思考することを可能にするものだと彼女は論じています。

本展で松川が提示する「フィクション」もまた、こうした視点の超越によって観客に共感の機会を生み出します。「ひとり」というタイトルが示すのは、孤独ではなく、個として立つ強さです。他者との関係性の中で生きながらも、ある瞬間、ふと「ひとり」として立つこと。それは決して寂しさではなく、自分自身を肯定する契機となる——松川朋奈の絵画は、そうした微細な感情の機微のリアリティを観客に静かに問いかけます。本展は、私たちが持つ「ひとり」の時間と向き合い、その意味を再考する機会となるでしょう。

ぜひ、この機会にご高覧ください。

 

[i] 殻の中で2つ並んだピーナッツのように仲が良く、精神的に寄り添って依存しあっている母と娘を指す俗語。
[ii] 音響機器で再生する音が原音に忠実であるかを指す高忠実度を意味する。
[iii] Rosalind E. Krauss, The optical unconscious, Massachusetts: Massachusetts Institute of Technology, p.210.

開催概要
ひとり

アーティスト

会期

会期: 2025年3月19日(水)– 4月19日(土) 開廊時間: 11:00 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊 ※特別休廊: 3月21日(金)・22日(土) オープニングレセプション: 2025年3月19日(水)16:00 – 18:00 ※松川朋奈が在廊いたします。 【展覧会記念トークイベント開催!】 登壇者:  松川 朋奈(アーティスト) 牧口 千夏(京都国立近代美術館主任研究員) 日時: 4月5日(土)16:00 – 17:00 (開場 15:30) 会場: KOTARO NUKAGA(六本木) ※参加無料 ※事前予約制 ※着席定員 30名 ※入退場自由 ※展覧会自体は11:00 – 18:00 いつでもご覧いただけます。

会場

プレスリリース