Original Copy

2026年8月1日(土)– 9月12日(土)

KOTARO NUKAGA(六本木)

KOTARO NUKAGA(六本木)では、2026年8月1日(土)から9月12日(土)まで、オリオール・ヴィラノヴァの日本初個展「Original Copy」を開催します。ヴィラノヴァは、世界各地の蚤の市や古物市場を巡り、永きにわたり収集してきたポストカードを主たる素材として、場と静かに交感する作品を紡いできたアーティストです。2023年には当ギャラリーにて開催されたステファン・ブルッゲマンとの2人展「Economy and Love」に参加したほか、現在開催中の第61回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展(会期:2026年5月9日–11月22日、ヴェネツィア)ではスペイン館において、膨大なポストカードが空間全体を覆う大規模なインスタレーション《Los restos》(2026年)を発表するなど、国際的に確固たる評価を得ています。 

本展では、ポストカードによる新作を、六本木のギャラリー空間に呼応させながら展開いたします。無数に刷られ、人の手から手へと旅を重ねてきたささやかな印刷物は、いま私たちのまなざしに何を映し出すのか。展覧会タイトル「Original Copy」が静かに投げかける問いと、ぜひ会場にて向き合っていただければ幸いです。 

なお本展に際しては、かつてデルフィナ財団(ロンドン)のレジデンス・プログラムにヴィラノヴァと時を同じくして参加し、共同で作品を制作した経歴を持つ宮津大輔氏をゲストキュレーターに迎え、テキストをご寄稿いただきました。あわせてご高覧ください。 

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オリオール・ヴィラノヴァ「Original Copy」展に寄せて 

ヴィラノヴァは、テキストや数字、そして世界中の蚤の市や古書/古物店を渉猟し蒐集したポストカードを用い、(展示)空間と呼応するような作品を発表してきた*1。例えば、2023年に開催されたステファン・ブルッゲマン(Stefan Brüggemann, 1975年 – )との2人展「Economy and Love」展(会期:2023年5月20日 – 7月8日、KOTARO NUKAGA)で発表された《Economical Poem (From 20 to 10 in 16 movements)》(2022年)は、何らかの規則に則った数字の羅列にしか見えない。しかし、そこに示されていたのが、アーティストと店主とによる価格交渉の推移であるとわかった瞬間に、私たちは熱の籠ったやり取りや蚤の市の喧噪を思い浮かべると共に、薄いグレー地に映える精緻な白い数字が醸す静謐な美しさに心を奪われるのである(抑制の効いた色調と、そこに潜む熱き情動はどこかサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly, 1928 – 2011年)のドローイングを思わせる)。 

今回発表・展示される<Spiin off>シリーズは、ヴェネツィア・ビエンナーレと同様に彼が収集したポストカードを用いた作品である。但し、スペイン館(フランシスコ・ハビエル・デ・ルケ(Francisco Javier de Luque, 1871 – 1941年)による設計、1922年竣工)の展示がヴェネチアン・モザイクのようにポストカードで埋め尽くされたインスタレーションであるのに対し、本展ではギャラリー・スペースを構成する壁面の形状に合わせて、余白を重視した展示・構成となっている。これは、展覧会開催地である日本の伝統的な美意識(「禅」の精神性や「侘び寂び」など)と、20世紀を代表する建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886 – 1969年)の金言(として曲解されている*2)「Less is More(少ないほど、より豊かである)」を想起させる。建築(物)への介入や、スペースに対する鋭敏な明察・把握力は、大学で建築を専攻したヴィラノヴァならではの卓絶した特長といえよう。 

これらの作品は、最少2枚から最大で32枚まで全く同じ図柄のポストカードで構成されている。ドイツの哲学者であるヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin, 1892 – 1940年)は、その著書『複製技術時代の芸術作品』(1936年)の中で「オリジナルが、いま、ここに在るという事実が、その真正性の概念を形成する。(中略) 真正性の全領域は複製技術を-のみならず、むろん複製の可能性そのものを-排除している」と述べると共に、「複製技術時代の芸術作品において滅びゆくものは作品のアウラ*3である」*4と説いている。 

彼がインスタレーション作品に用いるポストカードについて、裏(図版)面は同じ内容が数多く印刷された複製品であるが、表(宛先)面には送付先の住所や宛名と共に1枚1枚異なるメッセージが書かれた唯一無二の存在である。また、仮に未使用な状態であっても、印刷・発行された土地から土産物や記念品として世界中に散らばり、時を経て別々の場所でアーティストの手へと渡ったプロセスはそれぞれ異なっていよう。こうしたポストカードが持つ両義性は、展示作品は勿論のこと本展のタイトルである「Original Copy」にも顕著に表れている。 

ベンヤミンは、「人類の自己疎外は、自身の絶滅を美的な享楽として体験できるほどまでになっている。ファシズムの推進する政治の耽美主義は、そういうところにまで来ている」*5と警鐘を鳴らしている。それは、「機械的複製は芸術作品の展示可能性を飛躍的に増大させ、大衆が参加し得る芸術への道を開くのみならず、政治の芸術化によって人々を戦争へと導くファシズムを生むこと」*6と詳解できよう。一方で、カナダの批評家マーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan, 1911 –  1980年)は、『グーテンベルクの銀河系』(1962年)で「ナショナリズムは印刷、そして透視図法および視覚的数量化とともに発生した『固定された視点』に依存し、またそれから由来している」*7と喝破している。それを、「近代複製技術が統一的で均質的な時間と空間観念をもたらすことでナショナリズムを醸成する新しい社会空間を創り出す」*8と換言することも可能である。上記の言説に鑑み、ポストカードに印刷されたミサイルや鳥(エアバス社が開発した対自爆ドローン迎撃・破壊無人機は、「Bird of Prey(字義通りの捕食する鳥、あるいは猛禽類を意味する)」と名付けられている)、あるいは海に沈む太陽といったイメージから、混沌とする現在の国際情勢をも映し出していると捉えるのは、あまりにも穿った見方過ぎるであろうか。 

さて、奥の小部屋に目を転じれば、《Old Masters (Monet)》(2026)が展示されている。同作品は、ヴィラノヴァが蚤の市や古書/古物店を巡る時に着用するワーク・ジャケットのポケットに、クロード・モネ(Claude Monet, 1840 – 1926年)作品のポストカードが入っている。モネら印象派の画家達は、混色による濁りと明度低下を避けるため、異なる色の絵具を短い筆触によってキャンバス上に併置する「筆触分割」で視覚混合(網膜上で交じり合った一つの色に見える現象)を促した。従って、画面に近づけば抽象画然としているが、距離をとって眺めれば陽光に輝く睡蓮の池や緑濃い風景の描出を認識することになる。 

また、彼が身に着けているジャケットは、アトリエで制作するモネの肖像写真に写っている仕事着(アトリエ・コート/ジャケット)に端を発し、産業革命の後、爆発的に普及したモールスキン(厚手の横織生地)やツイル(綾織)生地を藍色の合成染料で染めたワーク・ジャケット「ブルー・ド・トラヴァイユ(青い労働着)」の系譜に位置する*9。つまり、同作品は美術史だけではなく、社会労働史やメンズウェアの歴史をも包含しているのである。 

オリオール・ヴィラノヴァの作品は、ポストカードの「表・裏」つまりは「唯一性と複製」に加え、それらを用いた作品における「個と塊」あるいは「部分と全体」や「抽象と具象」といった両義性を往還している。それは、世界/宇宙を絶えず生成・変化する現実的実質(≒瞬間的な出来事)の連鎖として捉え、「一であると同時に多であり、多であると同時に一である」*10と知覚するアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead, 1861 – 1947年)による「有機体の哲学」とも共鳴している*10。本展は、森羅万象が有機的につながることによってのみ顕現する世の理を、我々に再認識させるものである。 

宮津大輔(アートコレクター、横浜美術大学教授) 

 

*1:筆者がヴィラノヴァと同時期に参加・活動していたデルフィナ財団(ロンドン・英国)のレジデンス・プログラムでは、擬人化したコレクションに宛ててラブレターを書くという作品を共作している(2017年)。 

*2:ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの言葉として流布・認識されているが、その起源は古代ギリシャにまで遡る。近代においては、英国の詩人ロバート・ブラウニング(Robert Browning, 1812 – 89年)が、ルネサンス期の画家アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486 – 1530年)の言葉として自らの詩作で紹介している(1855年)。

参考:ロバート ブラウニング『男と女:ロバート・ブラウニング詩集』大庭千尋訳、国文社、1988年  

*3:ベンヤミンは、事物の権威、事物に伝えられている重みをアウラという概念に総括している。 

「この(筆者注:事物の)権威、この(筆者注:事物に)伝えられた重みを、アウラという概念に総括して、複製技術時代の芸術作品において滅びゆくものは作品のアウラである、ということができる」 

ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」野村修訳、多木浩二『ベンヤミン 「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波書店、2000年、141ページ 

*4:前掲「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』139 – 140ページ 

*5:前掲「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』187-188ページ 

*6:高橋聡太「『複製技術時代の芸術作品』ヴァルター・ベンヤミン」『artscape』 

https://artscape.jp/artword/6673/ 

2026年6月16日閲覧 

*7:マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系-活字人間の形成』森常治訳、みすず書房、1986年、337ページ 

下記は、引用文への筆者による補足である。 

ナショナリズムは(大量複製が可能な)印刷(による直線的で連続的な文字:表音文字であるアルファベットの配列)、そして透視図法(カメラ・オブスキュラに端を発する一点透視図法)および(均質で測定可能な)視覚的数量化とともに発生した(対象と一定の距離を保ち客観的に眺める)『固定された視点』に依存し、またそれから由来している。 

*8:趙瀚雲「マクルーハンにおける『技術』と『身体』の相互作用をめぐる一考察-アンダーソンのナショナリズム論を介したマクルーハンのメディア論再考-」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』29号、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院、2019年、74ページ 

*9:参考:キャリー・ブラックマン『メンズウェア100年史』桜井真砂美訳、スペースシャワーネットワーク、2010年 

*10:参考:山本誠作『ホワイトヘッド「過程と実在」:生命の躍動的前進を描く「有機体の哲学」』晃洋書房、2011年、81 – 82ページ 

原文は、「The many become one, and are increased by one」(筆者による補足を加えた訳:多が一へと統合され、更に、その新たな一が多に加えられる)である。 

引用:”Process and Reality: An Essay in Cosmology. 1929, Corrected Edition”, Free Press, 1979, p21 

開催概要
Original Copy

アーティスト

会期

会期: 2026年8月1日(土)– 9月12日(土) 開廊時間: 11:30 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊 ※夏季休廊 8月9日(日)– 8月17日(月) ゲストキュレーター: 宮津大輔氏(アートコレクター、横浜美術大学教授)   オープニングレセプション: 2026年8月1日(土)16:00 – 18:00 ※作家・ゲストキュレーターが在廊します。 

会場