魚は水を知らない
2024年7月20日(土)- 9月7日(土)
KOTARO NUKAGA Three
KOTARO NUKAGA Threeでは、7月20︎日(土︎)から9︎月7︎日(土)まで井上七海の個展「魚は水を知らない」を開催いたします。本展は、2022年の「Maybe so, maybe not」以来、井上のKOTARO NUKAGAにおける二度目の個展となり、代表作である直線を反復して描くことによって方眼紙のようなイメージを描き出すシリーズ「スフ」、刺繍の線が紙の表面・裏面を行き来する「表と裏のためのドローイング」と併せ、新作のビーズによるドローイング「Rim」を展示いたします。
井上は「普遍性は移ろいやすく断片的なものである」という考え方を背景に「何でもないけれど、何かであるものを描く」という絵画作品へ向き合い、考えを巡らせます。つまり井上の作品がなんであるのかを考えることは、絵画の図象的な解釈の枠組みを超えた知的好奇心へと私たちの思考を向かわせます。
「線をひく」という絵画における根源的な行為の反復によって、井上により描かれた「図」である方眼は、本来は何かが描かれる「地」であるという絵画作品「スフ」において、その「図」と「地」の反転というパラドックスによって、井上は何も描かない絵画を成立させるという問題を鮮やかに解いてみせました。井上は、本展「魚は水を知らない」にてさらに絵画に対する思考を深め、進展させてみせます。
「〇〇」の参照元が作家の主観であり、ある絵画作品が指し示すものが「This is ○○.」と特定することが出来得るとすればそれは世界を象徴的に、ある意味で固定的に表現していることになります。言い換えれば、示された世界がアーティストの主観によるものであるということは、普遍性を移ろうものとして示す絵画にはなり得ません。世界を移ろうものとして示すためには、絵画が「〇〇」を示すのではなく、「This」そのものにならなくてはならないとも言えます。つまり、発せられたときにはじめて指示対象が明らかになる「転換子(シフター)[i]」として機能する必要があります。言語学者である朝妻恵理子は「転換子」に関して以下のように説明します:
「転換子」とは「いま」・「ここ」・「わたし」というような、状況とともにその意味が変化する語を指し、現代言語学の術語では「ダイクシス(直示)」にあたる。こうした転換子は発せられたときにはじめて指示対象が明らかになる。たとえば、英語の人称代名詞Iはメッセージの話し手を、youは聞き手である二人称を示すという一般的意味を有しているようであるが、実際にはIもyouもいつも異なる人を指す。また接続詞butは、前の内容と「反対のこと」という一般的な観念をあらわしているのではなく、発せられた状況によって一回ごとに異なる意味を示す。転換子は語られるたびに、言語の象徴的な意味から解放され、その場かぎりの指示的意味を獲得する[ii]。
美術批評にこの「転換子」という概念を導入したのはアメリカの評論家ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss)です。彼女は1977年のOctober誌に掲載した「指標論:パート1(原題:Notes on the Index : Part 1)」の中で、ヴィト・アコンチ(Vito Acconci, 1940-2017)の1973年のビデオ作品《エアータイム》 について、
アコンチは、転換子の劇を—退行的な形で演じているのである[iii]。
と述べました。《エアータイム》は座った作家が鏡に映っている自分の映像に向かって40分間「私」と語り掛ける作品です。しかし、それは常にではなく時折、鏡の中の自分に向かって「おまえ」と話しかけます。クラウスは、繰り返される「反復」の中、「おまえ」の指示対称が宙吊りとなり、常に変動し、不断に逃げ去ること説明することで、「転換子」が「反復」の中、文脈によって意味を変化させ、毎回新たな文脈が呼び出され、その中で新しい意味を構築する方法として機能することを示しました。
井上の代表作である、方眼紙のような直線を描いた「スフ」シリーズ、1cmの等間隔な刺繍の線を引くという行為によって出来上がる「表と裏のためのドローイング」という作品を経て、今回新たに井上が挑んだのは「曲線を描く」ことです。新作のシリーズ「Rim」ではキャンバスにビーズを縫い付けるという反復行為によって、井上は曲線を描いてみせます。
針の先で、1mmほどのビーズをテーブルに置かれたケースからひとつ掬い上げ、キャンバスの表面に縫い付ける。裏面から針を刺し、再び針の先でビーズを掬い上げ、キャンバスの…
一連の行為を「身体が覚える」と井上自身が言うように、「Rim」を制作するその姿は、描き出す絵画を何物かに変えようとする画家の身振りとは対称的に、アーティストという人間でありながら、どこか機械的に安定したようにも見えます。一方で、その身振りは自然世界における繰り返される営みのようにも見えます。
「何を描くかではなく、どう描くか」ということに焦点をあてた井上の作品は、身体にどのように制作を進行するのかということを覚え込ませることで、「何かを描こう」という作家の主観を極限まで削ぎ落とすことになります。その手つきは、芸術が特定する境界を無視しているようにも見えるその一方で、必然的にこのような区別を超越した意味を示すという行為に焦点は当てられていきます。描き出された絵画は、作家の主観によって描かれた「何か」。つまり「〇〇」を象徴する絵画ではなく、線そのものであり、絵画そのものとなります。
それはロシア人の言語学者、ロマン・ヤコブソン(Roman Osipovich Jakobson 1896- 1982)が /pa/を「粗野な音(ノイズ)」であり、/papa/を「言葉」であると指摘したように、人は成長の過程で知性を向上させるにしたがって、音の連続をメッセージとして受容します。これは、わたしたち人間が言語的にその意味を構築するその初源的な行為とも言えます。
その一方で、/papa/もまた、参照元を特定する言葉としての地位を獲得したことがなく、発せられたときにはじめて指示対象が明らかになる「転換子」として機能します。反復という画家の身振りのみで描かれた井上の絵画も参照元、つまりアーティストの主観とは結びつかないため、絵画が「〇〇」ではなく、指標的に機能する「This」そのものであることを示し、絵画もまた「転換子」として機能することが可能であるということを退行的に示しています。「Rim」もまた「何でもないけど、何かであるもの描く」絵画作品なのです。
キャンバスに、ぐるりと曲線を描き、縫い付けられたビーズは、厚みのあるフレームに取り付けられることで、絵画平面の枠組みを軽々と乗り越えて行き、「移ろいやすい、普遍性」の中をわたしたちが泳ぎ回っているのだということを鮮やかに示しています。
深淵なる、井上の絵画の世界を、この機会に、ぜひご高覧ください。
注釈
[i] 言語学で用いられる「shifter」の訳語。言語学者のR・ヤーコブソンによって広く知れ渡った概念であり、それ自体としては空虚で、文脈によってその意味内容を変化させる言語記号が「転換子(シフター)」と呼ばれる。
(参照)artscape 星野太「転換子」 HP: https://artscape.jp/artword/6332/ (2024年5月31日最終閲覧)
[ii] 朝妻恵理子「ロマン・ヤコブソンのコミュニケーション論 : 言語の「転位」」、『スラヴ研究』、北海道大学スラブ研究センター、2009、pp. 209-210。
[iii] ロザリンド・E・クラウス「指標論 パート1」(1976)、小西信之訳『オリジナリティと反復』、リブロポート、1994、p. 158。
アーティスト
会期
会期: 2024年7月20日(土) - 9月7日(土) 開廊時間: 11:00 - 18:00 (火-土) ※日月祝休廊 ※8月11日(日) - 8月19日(月)夏季休廊
会場