ながくとも四十に足らぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ(Die Young, Stay Pretty)

カンディダ・ヘーファー | セイヤー・ゴメス | フーマ・ババ | エルヴィン・ヴルム | マリリン・ミンター | ジョエル・メスラー | 桑田卓郎 |カルロス・ロロン| 松山智一

2023年3月10日(金) - 2023年4月28日(金)

KOTARO NUKAGA 六本木

KOTARO NUKAGA(六本木)ではプエルトリコにルーツを持ち、帰属意識や文化的アイデンティティをテーマにシカゴを拠点に活動するアーティスト、カルロス・ロロンとニューヨークを拠点にリアリティをもった時代性を表現言語として活躍するアーティスト、松山智一による共同キュレーションの展覧会「ながくとも四十に足らぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ (Die Young, Stay Pretty)」を3月10日(金)から開催いたします。

ロロンと松山というふたりのアーティストの根底には、1989年、ポンピドゥー・センターで開催された「大地の魔術師たち」の展示以降、芸術の世界で重要なテーマとなっているポストコロニアル、そして非西洋の文脈から生まれる美学による「美」というものに向き合っているという共通点があります。本展は、美術の歴史上、常に検討されてきた「美(美しさ)」という概念とその概念が包摂する多面性、そして美は普遍的ではないということついてロロンと松山との対話の積み重ねから企画された展覧会となります。

ファッション業界において商品化され、消費される性と身体を通して「美」というものについて批判的な視点に立ち、問題意識を共有するマリリン・ミンター、パキスタン生まれのフーマ・ババは長きに渡り、現代の人物像の奇妙さをあらゆる美術史的参照を基にした折衷的なオブジェクト、ドローイングなどの制作によって表現してきました。90年代以降のドイツ写真のみならず、現代写真を牽引してきたベッヒャー派のひとりとして知られるカンディダ・ヘーファー、さらには、セイヤー・ゴメス、エルヴィン・ヴルム、ジョエル・メスラー、桑田卓郎、そして、キュレーションを務めたカルロス・ロロンと松山智一を含めた国際色豊かな9名のアーティストの作品により大文字の「美術史」を語る「美学」に向けて批評的な視点で捉え、一石を投じる構成となっております。

「美学」とは主に自然や芸術を通して、「美」について探求する哲学とされています。「美学」を意味する「aesthetics」という言葉は、ライプニッツ=ウォルフ学派の系統に属していたバウムガルデン(A.G. Baumgarten 1714-1762)が「感性」を表すギリシア語、「aisthetikos」より作ったラテン語である「aesthetica」に由来します。ドイツの哲学者、イマニュエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)は著書『判断力批判』の中でこの「美学」について言及し、「美学」とは、美そのものを学ぶ学問ではなく、美に対しての批判を学ぶ学問であると位置づけました。以降、シェリング「芸術の哲学」講義、ヘーゲル「美学」講義などを経て、19世紀後半にドイツの美術史家、コンラート・フィードラー(Konrad Fiedler 1841-1895)の芸術理論によって、それまで一つとなっていた「芸術」と「美」が分けられて整備されました。「aesthetics」の語源である「aisthetikos」は身体が互いに接触したときの感覚を通して生じる理解を意味し、美的判断は概念ではなく物の世界に位置しており、美的意味は抽象的、象徴的、比喩的なものを「読む」「解読する」のではなく、物理的な経験の結果であるとされます。つまり、「美学」は、言語のように意味を生み出すのではなく、物理的経験の結果、美的経験を作るものであるといえます。オブジェクトはそれ自体が意味を含むのではなく美的効果は、それが引き起こす行動や行為を通じて顕在化するコミュニケーションの主要な形態となります。つまり、受容される身体やそれの持つ文化的な背景が「美」の決定に構造的に影響するため、「美」とは主観的なものであり、その時代の身体感覚を反映するため、普遍的な「美」というものは存在せず、常に移ろいゆくものであると言えます。

鎌倉時代末期から南北朝時代、室町時代初期を生きた歌人、吉田兼好は、人生の「美しさ」について日本三大随筆として評価される『徒然草』の第七段、「あだし野の露」の中で書いています。

「ながくとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」

現代訳にすると、「死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。やはり、人間の命ははかないほうが断然いい。」といった意味となります。「生きる」ということの「美しさ」を「死」というものとの相対性から導き出し表現しています。「美しさ」とはそれそのものではなく、相対するものとの相対性、もしくは相対するものを内包するようにして顕れるものとしているのです。その上で、醜さが年齢を追い越すことで恥が多くなることへの警鐘を鳴らしたのがこの一節と言われています。

しかし、当時の平均寿命が三⼗歳そこそこであったことを考えれば、この「四⼗に⾜らぬほど…」という点も単に命の⻑ さについて書かれたものではなく、⻑寿の意味を⾁体的ではなく精神的な若さを失うこととして書いたとも⾔えます。さ らには、この⼀節の本質は年齢についての問題ではなく、⼈⽣の「美しさ」について検討する批判的な姿勢にあるとも⾔ えます。これは、その後の時代の⽇本の美学にも通底するものであり、その意味においてこの節を松⼭はタイトルとして 選びました。

普遍的な「美」は存在しません。⼀⽅で、「美」について考え続けるというわたしたち⼈間の営みそのものは、時代や洋 の東⻄を問わず⾏われてきており、ある意味で普遍的な営みとも⾔えます。本展はアーティスト同⼠の「美」に対する批 判的な対話による検討です。美術の歴史を⻄洋的な「美学」の視点で捉え、整理してきたものがいわゆる⼤⽂字の「美術 史」です。それを縦⽷とするならば、本展は「美」に対する批判的な対話による⼩⽂字の「美術史」を語る「美学」によ って編まれており、その縦⽷に横⽷を通す試みとも⾔えます。「美」とはそのように批判的に捉えられ、多⾯的な「美学」 によって磨かれることで、洗練され、広がってきたと⾔えるのではないでしょうか。

開催概要
ながくとも四十に足らぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ(Die Young, Stay Pretty)

アーティスト

会期

会期: 2023年3月10日(金) - 2023年4月28日(土) 開廊時間: 11:00 - 18:00 (火-土) ※日月祝休廊 会場 KOTARO NUKAGA 六本木 〒106-0032 東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル2F 東京メトロ日比谷線、都営地下鉄大江戸線「六本木駅」3番出口より徒歩約3分

会場

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