それはまた、次の名前の前にいる

2026年6月6日(土)– 7月18日(土)

KOTARO NUKAGA(六本木)

KOTARO NUKAGA(六本木)では、2026年6月6日(土)から7月18日(土)まで、地村洋平による個展「それはまた、次の名前の前にいる」を開催します。本展では、ガラスの内部に錫を封じ込めた造形作品によるシリーズ「始まりの実験」に加え、ギャラリーの空間全体を透明なビニールで覆い尽くすインスタレーション作品を発表します。地村にとって、素材に優劣はありません。溶融と冷却、変容と定着——素材同士の出会いと反応のプロセスそのものを可視化する試みが、展示空間全体に展開されます。 

1984年千葉県生まれの地村は、富山ガラス造形研究所を経て東京藝術大学大学院博士後期課程を修了。伝統的な金属鋳造とガラス造形の双方を学び、物質が変容する瞬間に着目した制作を続けてきました。金沢21世紀美術館、富山市ガラス美術館などで作品を発表し、2025年より東京藝術大学美術学部ガラス造形研究室准教授を務めています。工芸的な技術の精緻さを基盤としながらも素材の物質性そのものと向き合い、造形物の集積によって社会との接続を試みる工芸の枠組みにとらわれない実践は、本展においてひとつの結節点を迎えます。 

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物質の始まり

ガラスは人類が初めて手にした人工物だと言われている。プリニウスはフェニキアの砂浜で、偶然ガラスが生成されたという伝説を伝えているが、考古学はさらに古い時間を指し示す。メソポタミアでは紀元前3500年頃にはすでにガラスの痕跡が確認されている。窯の過熱や釉薬の偶然の変成などの名もなき事故の積み重ねのなかで、ガラスは人の手のそばに現れていた。意図された発明ではない。条件がたまたま揃ったときに、それまで物質の内に隠れていた何かが、はじめてこちら側に姿を現した。やがてその物質には「ガラス」という名前が与えられ、技術体系に組み込まれ、用途を持ち、分類される。だが名前がつく以前——物質がまだ何ものでもなかった時間に、何が起きていたのか。地村が「始まりの実験」と名づけたシリーズは、この問いを起点としている。 

ガラスの主成分であるケイ素も、内部に封じ込められる錫も、かつて恒星の核で生まれた元素である。星の死とともに宇宙空間に放たれ、数十億年を経て、いまここで再び出会っている。その出会いに形を与えるのは設計図ではない。恒星の内部も工房の炉も、絶えずエネルギーが流れ込み散逸する、不安定な系——場所——である。そのただなかでのみ、構造は自発的に立ち上がる。 

では、その始まりの場所に立ってみたい。熱が空間を満たし、空気を歪ませ、光が屈折する。汗が滴る。恒星のような光を放つ窯の中では、溶けたガラスが海のようにたたえられている。溶融したガラスを竿の先に巻き取り、回し、形を与えようとする。だが素材は自重で垂れ、熱で膨らみ、遠心力で伸びる。同じ動作を繰り返す。その反復のたびに、素材と身体のあいだで異なる力の交渉が起きている。回す。伸ばす。くっつける。切る。形を造る。熱する。この作品ができるのは、ここまでガラスのことを知っているからだ——これは地村が記憶している言葉である。だがその知識は、素材を意のままに操るためのものではない。素材に応じるために学ぶ。地村の技術は、支配のためではなく、応答のためにある。 

透明なガラスの内部に、錫が封じ込められている。溶けた錫がガラスの熱量と出会い、冷却の過程で歪み、固まる。通常であれば異物の挿入は致命的な亀裂を招く。膨張係数の異なる素材同士は、冷却時に内部応力を生じ、破壊に至る。地村はその限界に繰り返し手を伸ばす。比重の異なる素材が溶融状態で出会うとき、錫はガラスより重く、内部で沈もうとする。竿の先で回せば遠心力が加わる。密度の差、膨張と収縮の応力、重力、遠心力——複数の条件が同時にせめぎ合うなかで、金属はガラスの内部を予測を超えて移動する。それは制御と崩壊のあいだに身を置くことであり、物質との駆け引きのなかで形が立ち上がる瞬間を待つ行為である。冷えたガラスは硬く、沈黙している。あれほどの熱を湛えていた素材が、手に触れれば冷たい。 

目の前に置かれた造形物を見る。透明なガラスの塊は、溶融の運動をそのまま凍結させたような不規則な稜線を持っている。尖り、波打ち、垂れ、途切れる。どの角度から見ても同じ形にならない。その内部に、銀色の錫の粒が散在している。ある粒は沈み、ある粒は浮き、ある粒は流れた位置で止まっている。それは比重と重力と遠心力が綱引きをした痕跡であり、どの力がどの瞬間に優勢だったかを、金属の位置そのものが記録している。光がガラスを通過するたびに錫の粒が鈍く光り、内部の奥行きが揺らぐ。だがその内部には、制作の手順——素材が経た力と時間のすべて——がそのまま反映されている。地村はガラスを「優秀なハードディスク」と呼ぶ。変化の過程そのものを記録する、個人的な記憶の記録装置なのである。 

ガラスが記録する力と時間——その物質的な事実は、地村だけの発見ではない。ガラスと金属を組み合わせる造形には、窯業の領域ですでに蓄積がある。工芸において素材とは、作家が技術によって制御し、意図した形へと導く対象である。しかし地村が炉の前でしていることは、それとは質の異なる営みである。素材実験ではない。溶融した錫がガラスの内部でどのような形をとるかを、作家は完全には決定できない。重力、遠心力、表面張力などの力学が交差するなかで、素材は予期しない振る舞いを見せる。地村はその予期しえなさを排除するのではなく、それが現れる条件を整え、現れたものに応じる。呼びかけと応答の繰り返しである。工芸が「この素材をどう扱うか」と問うとき、地村は「この素材は何を求めているか」と問い返す。そしてその問い返しは、一点の造形物では完結しない。 

展示空間に並ぶ造形物のひとつひとつに、単独の意味はない、と地村は言い切る。複数の造形物が集積し関係し合うことで、はじめて語られる何かがある。本展では「始まりの実験」シリーズに加え、ギャラリーの空間そのものを透明なビニールで覆い尽くすインスタレーションが展開される。建築の骨格が熱で変容したビニールの膜に包まれ、もうひとつの皮膚を纏う。ビニールもまた、熱を加えることで形を変える。地村はこの素材にもガラスと同じ態度で向き合う。熱を与え、変容を促し、素材が応じた形をそのまま受け入れる。造形物とインスタレーションが共存する空間のなかで、形と形のあいだに流れる時間と力の記憶が、空間全体をひとつの語りへと編み上げていく。 

本展に通底しているのは、ある種の寂しさの感覚である。炉の前で溶融するガラスの圧倒的な熱量に身体が呑み込まれそうになる。そして冷えたガラスに手が触れたとき、あの熱がどこにも残っていないという事実に気付く。温度を吸い取られるような体験。人はその手前で立ち止まっている。一度冷えたものは、二度と同じ熱には戻らない。展示空間に静かに並ぶ造形物は、灼熱のなかで生まれた構造が冷却を経て沈黙した姿である。この展覧会を遠い未来から見たとき、そこには豊かであったであろう過去の痕跡が静かに並んでいる——地村が思い描くのは、そのような時間的遠さである。寂しさとは、物質が語りかけてくる時間の厚みに、人間が応えきれないことへの自覚なのかもしれない。だからこそ、何度でも炉の前に戻る。 

物質に名前がつく以前の時間。何かと何かが出会い、それまでなかったものが生まれる瞬間。地村洋平は、工房の炉の前で、その始まりに何度でも応えようとしている。 

開催概要
それはまた、次の名前の前にいる

アーティスト

会期

会期: 2026年6月6日(土)– 7月18日(土) 開廊時間: 11:30 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊 オープニングレセプション: 2026年6月6日(土)16:00 – 18:00 ※作家本人が在廊します。

会場