Rhizomatiks Beyond Perception

2024年6月29日(土)– 10月14日(月・祝)

KOTARO NUKAGA(天王洲)

KOTARO NUKAGA(天王洲)では、6月29日(土)から10月14日(月・祝)まで、ギャラリースペースの移転を記念し、ライゾマティクスによる展覧会「Rhizomatiks Beyond Perception」を開催します。

ライゾマティクスは真鍋大度・石橋素が主宰するクリエイティブコレクティブで、技術と表現の新しい可能性を探求し、研究開発要素の強い実験的なプロジェクトを中心に活動を展開しています。
ライゾマティクスによるギャラリーでの初の大規模な展覧会となる本展では「AIと生成芸術」をテーマとし、「創造的思考プロセス」自体を作品化します。この展示では、AIモデルがどのように学習し新しいイメージを生成するかを可視化し、同時に現在Big Techのような企業が提供するAIサービスに内在する倫理的、社会的規範によるバイアスによるイメージの操作からの解放についても考察します。

アーティストステイトメント

ライゾマティクスは、自身の作品を学習したAIモデルをアート作品として展示します。この取り組みは、「創造的思考プロセス」自体を作品として提供することを意味し、AIの役割とアーティスト、作品、鑑賞者との関係性を探るものです。通常、アートは創作者の手によって生み出されますが、AIモデルを使用することで、その創作プロセス自体が変化します。今回作品として販売されるAIモデルは、ライゾマティクスの作品のみを学習し、その過程で習得した芸術的手法や感性を反映した画像を生成します。これは、アート作品の在り方に影響を及ぼす可能性があり、アートとAIの融合が表現や作品のあり方にどのような新しい可能性をもたらすかという問題を提起します。

誰もがAIを使って画像を生成できる現代において、改めて「生成される画像の価値とは何なのか?」ということを、本展示を通して問いかけます。展示作品を作成するために、新たに開発したAIの元となる学習モデルはライゾマティクスが独自に作成した画像のみを学習。そしてライゾマティクス初の試みとなる販売作品は、“AIモデルデータ”になります。ゆえに、作品の購入者はこのAIモデルを使って入力を変えることにより、無限に画像を生成する体験が可能となります。ライゾマティクスは独自のAIモデルを作り、そのモデル自体を購入可能な作品とすることで、AIとアートに関する新しい視点や考察が生まれることを期待しています。是非ご高覧ください。

 

ここで、ライゾマティクスを黎明期から知る阿部一直氏(東京工芸大学 芸術学部教授)が本展覧会に宛てたテキストを紹介します。
ライゾマティクス「Rhizomatiks Beyond Perception」〜AIと生成芸術をめぐって
文/阿部一直

ライゾマティクスが、2010年以降の日本の、そして国際的なメディアアートシーンの主導的な活動を牽引してきた最先鋭の位置にあることは誰もが認めることである。しかしそれは通常の現代アートとは異なった多くのリスクマネージメントを伴うものであり、先端的なメディアテクノロジーをスペクタクルに使用するエンターテインメント、広告、プロモーションなどが数ある中で、文化的にも技術的にもそれらとは批評的な距離を置いた実働に集中することは予想以上に難しい作業に違いない。その集団制作[アーティスト、エンジニア、デザイナーによるクリエイティブ・コレクティブ]による活動は、(まだ定義も規定も十分でない、だからこそエキサイティングでもある)メディアアートあるいはメディアパフォーマンスの領域は何かという汽水域を探る地勢・地質調査(*2)とも喩えられるだろう。

ライゾマティクスの遂行するメディエイションには、2方向の特徴があって、一つには、徹底的なコンピュテーション&データ・オリエンテッドな志向の最先端のリサーチである。それとは対照的に、もう一つの特徴は、ハードウェア・エンジニアリングのメカ機構の独自開発、コントロール・センシング技術のリサーチと実装である。この2つの方向性にアート↔︎パフォーマンス[ダンス・パフォーマンス+エレクトリック・ミュージック・パフォーマンス]という2軸が加わり、ライゾマティクスの4象限マトリクスが完成する。このどこかのポジションに、ライゾマティクスの相当数のアウトプットが、毎回異なるバイアスがかけられて表示されるのだ。

しかし、今回のKOTARO NUKAGAでの新作は、アートマーケットにおける展示という新しい一歩にとどまらず、この時期の大きな人類史の転換期へのアプローチが含まれる画期的な展開を孕んでいる。それは、生成AIの技術革新、つまりここ数年で予想を遥かに超えた進展を示した事象に関してである。それより少し前ではデータ資産通貨であるトークンによるNFTアートが急速にトピックとなっていたが、ティナ・リバース・ライアンはその特徴をこのように記述している。「永久に単一の資産を指し、NFTは暗黙のうちにデジタルプロジェクトの乱雑な現実に対する、安定した単一のアートワークの理想的特権を与えるものである。それらは分散的、双方向的、偶発的、反復的、またはエフェメナル(瞬時的)であるが。」(*3)NFTアートには、このエフェメナルなジェネラティブ・アートの要素も加わっているのが重要で、それは単に表象文化の最新のアウトプットをお気に入りのパーソナル・モバイルにデータ収蔵するだけのものではなく、むしろ本質的には、表象画像を欠いた生成・更新するデータ・フローに文化的・経済的価値を与える次元をも作り出すものであった。

ライゾマティクスの今回の新作「Rhizomatiks Beyond Perception」は、生成AIを使用したアートプロジェクトとその在り方への問いの試行にまで発展させて提示しようとする。それは、AIが作り出す表象画像の成果や波及性を問題にする視点というよりも、AIモデル自体のあり方自体をデータ・メディエイションとして示そうとするものだ。つまり「通常ブラックボックスとされる学習データ、AIモデルそのものの公開、可視化、そして販売の試み」となる。(*4)

ライゾマティクスのディレクションは、国際的にも著名なメディア・アーティストでリーダー格である真鍋大度を中心に行われているが、コレクティブとしての集団制作、専門性の分散的R&D、構想ディスカッションによる相互影響関係の構築も見逃せない。真鍋のほかの多彩なメンバーの代表的人材を2例紹介しておくと、石橋素は、エンジニアリングとコンピュテーションの高度なレベルの複合的研究を突き詰めており、2000年代前半から多彩なアート領域をカバーしてビジョンを発揮し、各種デバイスや可動メカニクスの開発・制御において独自の境地を開拓している。花井裕也は2014年からライゾマティクスに参加し、Seamless MR、Dynamic VR、インタラクティブレーザーなど、カメラやプロジェクター等を用いた数々の独自のビジュアルシステムの開発に携わっているが、近年では、Web上で公開されている情報を学習した基盤モデルは使用せず、ライセンス懸念のないオープンライセンスや許諾を得たデータのみを学習する画像生成AI「Mitsua Diffusion」「Mitsua Likes」「Elan MitsuaMT」を開発するなど、生成AIに関する倫理的アプローチは注目されている。

ここで、真鍋大度のディレクション性に注目してみると、私なりの表現をするなら、真鍋の特徴は大きく見て2つあるといえるかと思う。それは「未完への志向」それと「制御されるゆえに我あり」である。多少、美術史に寄って位置づけるならば、常に「未完」(*5)を目指したアーティストの代表格は、いうまでもなくイタリア・ルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチと(それを当然意識している)マルセル・デュシャンである。レオナルドは、作品を常に変化・更新させていくだけでなく、その時代の未確定の新技術を疑いもなく古典技法に加算採用し(そのため多くの作品が遺らないことになったが)、さらにその技術による思考や実装の向かう先の社会的アサインも不確定な予想外の組み合わせを常に試行していたのだった。つまりあらゆる意味で作品は永遠に完成しない。デュシャンは、私にとっては、レディメイドの作家などではなく、鋳型の作家である。デュシャンは、活版印刷工をやっていた時期があり、その生涯に通底する工人的アプローチは原型と鋳型、鋳型と新規物質の関係であり、その隙間に毎回生成する表象できない薄弱空間(アンフラマンス)の多様性への注目である。それは試みごとに異なって生成する、つまり途切れることのない生成が鋳型(メディウム)の余白によって原理的に存在する。(*6)真鍋の技術観はこれらとほぼパラレルで、新技術が出現するとそれの関係する思考としてプロジェクトはスタートするが、それは表象(作品表現)の完成にほぼ奉仕することなく、次なる生成を生み出すために、あるいは踏石とされ、次の別の技術的アプローチに即座にとって替わられる。

それを成立させているのが、真鍋の「徹底的に制御される」ことに関するプラットフォーム構築である。人間が人間をいかに制御するか否かは、古今東西様々な思想で語られてきた問題である。曰く、メディアは身体の拡張であり、人間(主体)の視覚の延長の先に監視技術がある…。しかし完全に自動制御される技術世界に対して身体、存在、主体が投げ出されるプラットフォームを想像し、世界を記述することは、これとは位相を異にしている(現在のメタバース/マルチバースの到来はこのヴィジョンに由来しているだろう)。2023年に発表されたメディアパフォーマンス「Syn」 (*7)では、普段は透明で不可視の存在である鑑賞者(観客)が同時にパフォーマンス空間を移動しながらその動きがレコーディングされ、視覚対象としてリヴァース再生・加工される映像をステレオ視で直面させるメディエイションが現れたが、それはこうした事態が明白になった瞬間であるだろう。

そのライゾマティクスが、「生成」そのものに(独自の開発も含む)AI技術にアプローチして乗り出し、さらにAIとの関係自体を対象化、経済化しようとするプロジェクトが、今回の新作「Rhizomatiks Beyond Perception」である。はたしてどのような実装が我々に提示されるのか、心して待ちたいと思う。

 

 

注釈

*1 事実、少し以前には「ライゾマティクスリサーチ」という名称も用いていた。

*2 真鍋大度は、アート&サイエンスのリサーチやプロジェクトを多数行っているが、そのコンテンツをDJ/VJイベントにも応用する。真鍋の作り出すDJ/VJプログラムは、驚くべき精度を追求しており、世界的にも最も複雑でマルチレイヤーなシステム/プログラムを実装・更新させているが、さらにこれが深層的にダンサブルである点でまさに想像を超えたパフォーマンスとなっている。

*3 ティナ・リバース・ライアン『トークン・ジェスチャー』(2021)
Tina Rivers Ryan “TOKEN GESTURE”(ARTFORUM MAY 2021)
https://www.artforum.com/columns/token-gesture-249731/(最終アクセス:2024/06/29

*4 メディアリサーチャー、レフ・マノヴィッチはこのような状況を次のように解説している。「現時点では、「AIの創造性」についてよりも、人間の創造性とその仕組みについて、私たちははるかに多くのことを知っている。哲学、心理学、認知科学、その他の分野では、多くの代替理論や創造性のタイプが提案されている。時が経てば、「AIの創造性」についても同じことが言えるようになるだろう。しかし、私たちはまだその段階には至っていない。近年の高度な創発性を発揮する生成モデルはニューラル・ネットワークは、何兆ものテキスト・ページやウェブから収集した何十億もの画像で訓練された後、新しいテキストや画像を構成できるようになる。しかし、創造的なネットの能力は伝統的なアルゴリズムによって定義されるのではなく、何十億もの人工ニューロン間の何兆もの接続に分散されている。言い換えれば、ある意味では人間の脳に似ているが、その仕組みが理解できないほど複雑な技術を、私たちは作り上げることができたのだ。」
レフ・マノヴィッチ「文化的アーカイブにおけるAI脳: メディアの次なる革命に注目したとき、どのような新しい成果物が現れるのか?」(2023)  https://www.moma.org/magazine/articles/927(最終アクセス:2024/06/29

*5 結果的な「未完(アンビルド)」と本質的な「未完」があるが、レオナルドとデュシャンはもちろん後者である。

*6 デュシャンの鋳型(ないし計測型)作品は多数認められるところであるが、初期絵画にもその兆候は示されている。『デュムシェル博士の肖像』(1910フィラデルフィア美術館)の左手の表現:実体と周辺空間の相補性、接触部分の独自領域に注目したい。

*7 『Syn : 身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY』(10.6 – 11.12. 2023 TOKYONODE開館記念企画 会場:虎ノ門ヒルズステーションタワー)第2部〜第3部では、連続して観客はステレオ視で空間を継続的に知覚するが、ここでは驚くべきことに、実影シャドーも特殊デバイスでステレオ視されることとなっていた。https://www.tokyonode.jp/sp/syn/(最終アクセス:2024/06/29

 

開催概要
Rhizomatiks Beyond Perception

アーティスト

会期

会期: 2024年6月29日(土)– 10月14日(月・祝) 開廊時間: 11:00 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊 ※8月11日(日)– 8月19日(月)夏季休廊 ※10月13日(日)・14日(月)開廊

会場

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