Quality of Life
2024年11月16日(土)– 2025年2月14日(金)
KOTARO NUKAGA (六本木)
KOTARO NUKAGA(六本木)では、2024年11月16日(土)から2025年2月14日(金)まで、アメリカを拠点に活動するアーティスト、ビバリー・フィッシュマンによる日本初の個展「Quality of Life」を開催します。1955年生まれのフィッシュマンは、20年以上にわたり、病気と治療、そしてそれに伴う政治やビジネスを抽象的な言語で表現してきました。本展のタイトル「Quality of Life」(=QOL、生活の質)は、現代社会における個人の自律性、高齢化社会の課題、そして東洋医学の思想に影響を受けた近年のウェルビーイングの潮流を反映しています。フィッシュマンは、この展覧会を通じて、国内の現代人にとって「生活の質」が意味することや、それを取り巻く社会システムについて詩的にも深い洞察をもって問います。
同世代にアニッシュ・カプーアやジェフ・クーンズといったアーティストがいるビバリー・フィッシュマンは、イェール大学MFAを1980年に卒業してから45年近く、政治や社会問題に焦点を当てた抽象表現の最前線で女性作家として活動を続けてきました。フィッシュマンの作品は、科学やテクノロジーの言語を用いて、身体の自律性と社会の関係や、社会弱者と薬物依存、セルフケアや現代病といったテーマを多様な媒体で探求しており、特に多剤併用される錠剤の形を引用し抽象化させた近年のレリーフ作品たちは、高齢化する世の中で重要性と批評性を増しています。たびたびPMSの処方薬、向精神薬や避妊薬といった、特に現代の女性にとって身近である対症療法と製薬業界の関係性についても作品で触れるフィッシュマンは、フェミニズム・アートの文脈においても、Anonymous Was A Woman Awardを2018年に受賞するなど近年にその功績が評価されています。フィッシュマンの作品は、これまでにクライスラー美術館やデトロイト美術館、マイアミ・ペレス美術館など、著名な機関に収蔵されており、2005年のグッゲンハイム・フェローとしての選出や、2019年までクランブルック・アカデミー・オブ・アートの絵画科長を務めるなど、現代美術史の中での重要性が近年話題になっています。日本での初個展となる本展は、フィッシュマンの作品群を日本、ひいてはアジアの社会文脈の中で位置する貴重な機会となるでしょう。
本展で出展されている新作は、2010年代から無題(Untitled)と題してフィッシュマンが発表してきたレリーフ作品たちの延長線上にあります。一見するとポップで幾何学的な形によって構成される抽象作品たちは、実は私たちが日常的に摂取している錠剤の形状を抽象化したもので構成されています。錠剤を一回の投与量に合わせて割ったときに生まれる形や、製薬会社が視認性を高めるために使う色などを引用しながら、うつ病、高血圧、双極性障害、オピオイド依存症、不眠症、ADHDなど、引用元の薬たちが対症する現代社会が抱える様々な健康問題を参照し、現代社会における製薬産業の影響力や、個人の自律性の問題を鋭く提起してきました。このようなテーマ性は作品タイトルに現れ、Untitledに続く括弧内にはこれまで、その薬が対応する症状や病名がまるで処方箋のように羅列されていました。
本展に出展されている2024年の新作たちは、その作品タイトルの付け方に作品としての進展が見られます。これまでのレリーフ作品とは異なり、本展の作品はすべて《Polypharmacy》(多剤併用)と題され、その後に「幸せ」や「安堵」、「自律」といった曖昧な願いのような言葉を症状の代わりに用いられ、昨年までの症状を羅列するシリーズと大きくコンセプトも変化しています。薬によって維持される現代人のQOLを指すと同時に、現代においてもはや特定の症状への対症療法としてではなく、万能薬的に乱用される薬のあり方をも示唆するようであるこの新作の変化は、これから人々が求めるウェルネスなど新たな健康のあり方を作品に映し出しているようにも思えます。
その変化は、薬やその背景の社会政治が一方で人々の生活を豊かにする力を持っていることをも捉えようとしたからだとフィッシュマンは言います。「薬とは同時に毒であり治療でもある」と語るフィッシュマンは、ビッグファーマ[i]や薬物依存、多剤併用といった社会問題を基軸にこれまで多くの作品を展開をしてきましたが、その立場は必ずしも一方向的ではなく、むしろそのような選択肢が存在する社会の中で個人がどのような自主性をもって、自身のセルフケアと向き合うべきかという問いを投げかけます。オピオイド中毒や依存が年々増してたびたび大衆の関心となり[ii]、製薬会社と社会弱者の間で複雑な共依存関係が浮かび上がる米国とは社会情景が少し異なる日本で展示にするにあたって、フィッシュマンの作品が触れるセルフケアのテーマはまた、日本の過労問題や、日本社会での自主性の消失や依存についての気付きにもつながる話でもあるのです。
メル・ボックナー[iii]やジュディ・ファフ[iv]にイェール大学で師事したフィッシュマンは、その影響をも確認でき、やはりヴィヴィッドでユニークな色彩構成にまず目が行くでしょう。等身大サイズに拡大された錠剤型の色鮮やかなファサードの側面は蛍光色で色彩されており、それらの色は白い壁に反射し作品に柔らかいアウラのようなものを与えます。70年代はまだ普及していなかった蛍光塗料をも活用するフィッシュマンは、さらに独学で蛍光色との色彩構成を習得したと言いますが、空間にじんわりと浸透していくような錯覚をもたらすこの視覚効果に、従来のカラーセオリーが適応できないことも納得ができ、フィッシュマンにしか作ることのできない色彩バランスによる特異な空気感が展示空間を充満させていることが感じ取れるはずです。キャンディのようにかわいくポップであり同時にどこか病院や薬局の無機質性を共存させる鑑賞体験はその参照元が薬のモチーフであることだけではなく、緩急するフィッシュマンの色彩バランスやスケールによる効果も大きいのです。
このように複雑な色彩構成や空間構成によって計画的に構成された作品たちは、機械的とも思えるほど圧倒的な精密さで一つ一つ手作業でフィッシュマンのスタジオで制作されています。何十枚にわたるコラージュスタディを繰り返し、そこから変形の木製フレーム[v]を組み、自動車などに使われる光沢なウレタン塗料で彩色される本作たちは、その姿からは想像できないほど実直に制作されていて、フィッシュマンの45年近くにわたるテクノロジーや科学との静かな向き合い方が垣間見えるとも言えるでしょう。その制作方法を裏付けるように作品たちは浮遊感をもって白壁から、静かに、しかし強く、空間を満たしていきます。
現状に対して批判的な眼差しを向けつつ、その問題に対する一つの対症療法的な鑑賞体験、あるいは慰めを試みるフィッシュマンの作品の特徴は、その社会批評と抽象表現の必然性のある融合にあると言えます。フィッシュマンの作品の中では、ポップな作風が再評価されていく美術市場の流れで置き去りにされがちな作品の時代性や社会意義が、むしろ強い説得力としてこれら視覚効果を強化していることが確認できます。現在、多くの科学技術の発展により、私たちは個人の力を超えた大きな社会システムに依存せざるを得ない状況に置かれています。特にこの依存関係がより顕著になっている医療・健康の分野では、自身の健康がブラックボックスになったり、詳しくその効能がわからない薬剤を処方されたりと、どこまでも制御ができない壮大な社会構造に個人として感じる諦めに近い、カフカ的な畏怖を感じることも少なくありません。それは例えば死や宇宙といった概念が時に美しく我々に映ることにも通ずるものであり、フィッシュマンはこういった自主性・自律性の喪失と巨大システムへの依存といった事象を、美しい抽象形態で表現することで、その現代的な畏怖が美に昇華される瞬間を作品に内包しています。その意義はポストコロナ・高齢化の時代においてさらに緊急性をもち、「生活の質」という概念を再考する必要に迫られている我々にとっては、フィッシュマンの作品が提起する鑑賞体験たちは、一様な批判や問いではなく、柔らかくも実直に我々にリアリティの実情を照らして我々のトランスフォーメーションを誘起する装置として機能することが期待されています。
私たちは、これからの時代、どのようにして「生活の質」を定義し、追求すべきか。社会システムへの依存と個人の自律性のバランスを、どのようにして取るべきか。そして、芸術は、これらの問題に対してどのような役割を果たすことができるか。そういった問いが浮かび上がるビバリー・フィッシュマンの作品たちは、私達に強い印象を与えると同時に、現代社会における個人の位置づけについて再考を促します。美しく、時に挑発的な作品群を通じて、フィッシュマンは私たちに、自身の生活と社会との関係性を見つめ直す機会を提供していると言えるでしょう。本展が、鑑賞者一人ひとりにとっての「生活の質」が何を意味するのかを深く考察する契機となることを願っています。ぜひ、この機会にご高覧ください。
[i] 大規模の製薬会社の意。近年は製薬会社がもつ巨富に対して米国では厳しい目が向けられている。
[ii] 米国ではこの20年でオピオイド(モルヒネやヘロインなど鎮痛剤)の過剰摂取による死亡が10倍に増えていて、23年のデータでは毎日300人が依存・過剰摂取により亡くなっている。こういったドラッグマネーは大手製薬会社を介して米国中の主要美術館に寄付されており、ナン・ゴールディンによる近年のデモ活動で美術界の中でも大きく話題になった(ナン・ゴールディン『美と殺戮のすべて』(22年))
[iii] メル・ボックナー(Mel Bochner)は40年生まれの米国を代表するコンセプチュアル・アーティスト。”BLAH BLAH BLAH”といった文字を色鮮やかにペインティングに取り入れたシリーズなどが広く知られている。
[iv] ジュディ・ファフ(Judy Pfaff)は46年生まれの米国を代表する彫刻家。ネオン管や溶かしたプラスチックを用いた色鮮やかでカオティックなレリーフ作品が知られる。
アーティスト
会期
会期: 2024年11月16日(土)– 2025年2月14日(金) 開廊時間: 11:00 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊 ※年末年始休廊: 2024年12月27日(金)– 2025年1月6日(月) オープニングレセプション: 2024年11月16日(土)16:00 – 18:00
会場