Glacier Diary
2026年10月31日(土)– 12月19日(土)
KOTARO NUKAGA(天王洲)
KOTARO NUKAGA(天王洲)では、2026年10月31日(土)から12月19日(土)まで、石塚元太良による個展「Glacier Diary」を開催します。本展では、近年顕著に崩壊し、後退しつづける氷河をシーカヤックで追い続けてきたシリーズ〈氷河日記〉の到達点として、大型のパノラマ作品を中心に、Cタイププリントを編み込んだ〈Texture_〉シリーズ、印画紙で組み上げた全長約4メートルのカヤック、アラスカ極地探検の文献の書棚を撮影し折り曲げて塊に戻した〈Mass of écriture_〉を発表します。氷河を見ること、氷河へ行くこと、氷河について語ること。本展ではその三つのすべてが、同じ一枚の印画紙という物質に置き換えられています。
石塚は10代の頃から世界を旅しながら撮影を続け、パイプライン、氷河、ゴールドラッシュの痕跡といったモチーフを大判フィルムカメラで追ってきました。2016年にはSteidl Book Award Japanグランプリ受賞。ポーラ美術館「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」(2019年)、国立新美術館「DOMANI・明日展 2022-23」などで作品を発表し、KOTARO NUKAGAでは2024年の個展「Gold Rush Alaska」以来の個展となります。その実践は近年、被写体から写真というメディウムそのものへと軸足を移しています。
氷河に向けられた言葉
“…if anyone speaks while they are under it, the glacier comes down on them. They say that in those times this glacier was like an animal, and could hear what was said to it…”
「その下を通るあいだに誰かが口をきけば、氷河は崩れ落ちてくる。当時この氷河は動物のようで、話しかけられたことを聞くことができたのだという」
—— ディキナーク(トリンギットの古老、1904年、シトカにて)*1
「夥しい数の言語(書き言葉)が、写真の絶対平面を折りたたむと蠢いているような気がした。それは膨大な人類知の気配である。」
—— 石塚元太良 *2
青は、氷河がくぐり抜けてきた時間の色だという。長い年月をかけて押し固められ、気泡を失った氷は、光の赤い成分を吸い込んで深い青を帯びる。その青い壁が、巨大なパノラマとなって会場の一面を覆う。画面は一度に視野に収まらない。鑑賞者が画面に沿って歩くと、先ほど通り過ぎたはずの氷壁が、少し異なる大きさと角度でもう一度現れる。
この反復は、制作の方法から生まれている。石塚は氷河を、展望台や大きな船の甲板からではなく、水面に近いシーカヤックの上から撮影した。舟は潮に揺られて少しずつ位置を変え、氷河はそのつど異なる距離と角度で写り込む。本作は、そうして得られた複数のカットを一枚に合成したものである。一点から見渡した眺めを再構成する一般的なパノラマ写真や、安定した高みから自然を見晴らす「崇高」の眺めとは異なり、ここには、水の上で揺れながら氷河と向き合った身体の、いくつもの位置が折り重なっている。いわば絵画的な多視点の画像である。
人類学者ジュリー・クルックシャンクは、アラスカ湾岸の先住民の口承において、氷河が往来を阻む壁であると同時に道でもあったことを示した。人々は氷河の上を歩いて海岸と内陸を行き来し、丸木舟で氷の下を漕ぎ抜けた *3。彼女は、どこでもない場所から世界を眺めようとする科学に対し、口承の知がその場に身を置く主体に根ざしていることを強調する。石塚のパノラマもまた、氷河を一望する風景ではなく、揺れ動く身体がそのつど占めた場所からの眺めであり、氷河とともに水の上にいた時間の記録である。
〈Texture_〉は、この「ずれた像の重なり」を印画紙そのものの上で行う。石塚は同じ氷河を写した二枚のプリントを短冊状に裁断し、経糸と緯糸のように織り合わせる。離れて見れば氷河があり、近づくと像は解像度の低いデジタル画像のような網目へとほどけていく。作品は氷河そのものよりも、私たちが写真をどう見ているのかを浮かび上がらせる *4。石塚がスマートフォンのディスプレイに並ぶ手触りのない写真を「2.0次元」と呼ぶのに対し、編まれた印画紙には凹凸が生まれ、二度と同じようには再現できない。複製できるがゆえに平面であり続けてきた写真が、複製できない一点の物質へと裏返っている。その織物は、さらに3.0次元の舟のかたちへと立ち上がる。全長約4メートルのカヤックは、石塚が撮影に使ってきた装備をもとに、氷河を写した印画紙で組み上げたもので、パノラマを撮る道具が、写された風景によってつくり直されている。
「テキスト」の語源は、ラテン語で「織る」を意味するtexere。〈Texture_〉が画像を経糸と緯糸という線にほどいて編み直すのだとすれば、〈Mass of écriture_〉(書き言葉の塊)は、線状の文字そのものを塊へと戻す。素材は、アンカレッジの図書館で撮影した極地探検の文献の背表紙だ。氷へ向かった無数の身体の経験は、本という線状のテキストになり、さらに書棚に並ぶ背表紙の一行へと圧縮されている。石塚はそれを印画紙にプリントし、折り曲げ、糸で縛り、レジンを塗っては磨いて塊にする。読むための順序をもっていた文字は、順序を失った物質へと巻き戻され、それでもなお、表面のあちこちで断片的に読めてしまう。画像から文字へ、文字から画像へという往復が、一つの塊のなかで止まったまま蠢いている。
1891年、氷河を渡ろうとした探検家フレデリック・シュワトカに、先住民の案内人たちは、氷の上では囁き声さえ立てないよう求めた。シュワトカはそれを迷信と記している *5。だが案内人たちにとって、氷河は人の声を聞く存在だった。生物学者であり哲学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュルが述べたように、生きものはそれぞれ、自らの知覚が届く範囲に固有の世界を持つ *6。壁一面の氷河も、織られた面も、磨かれた塊も、目で一望するだけでは捉えきれず、近づき、離れ、歩きながらたどることで、はじめて像を結ぶ。
写真の平面性がほどかれていくとき、写真はどこまで写真でいられるのか。石塚はその先に、写真を目で見るのではなく、触れるように感知する可能性を探っている。「自らの身体よりも長い触角をもつカミキリムシのように、来たるべき視覚の世界を感じ取ることはできるだろうか」*7
見渡す写真から、ともに揺れる写真へ。巨大な氷河の前を歩き、その揺らぎに身を置く時間を、ぜひ会場でご体感ください。
*1 ディキナークの語り。1904年シトカにてJohn Swantonが採録(Swanton, Tlingit Myths and Texts, 1909, p. 67)。Cruikshank 2001, p. 377に引用(筆者訳)
*2 石塚元太良(作家ステートメントより)
*3 Cruikshank 2001, pp. 378, 380, 387–391
*4 北桂樹「現代写真マガジン『POST/PHOTOLOGY』#0005/石塚元太良《Texture_Glacier》」note、2023年6月13日
*5 フレデリック・シュワトカの1891年の記録。Cruikshank 2001, p. 389に引用
*6 ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』日高敏隆・羽田節子訳、岩波文庫、2005年
*7 石塚元太良(作家ステートメントより)
参考文献
- Julie Cruikshank, “Glaciers and Climate Change: Perspectives from Oral Tradition,” Arctic 54(4), 2001, pp. 377–393
- Julie Cruikshank, Do Glaciers Listen? Local Knowledge, Colonial Encounters, and Social Imagination, UBC Press, 2005
- ヤーコプ・フォン・ユクスキュル/ゲオルク・クリサート『生物から見た世界』日高敏隆・羽田節子訳、岩波文庫、2005年
- 北桂樹「現代写真マガジン『POST/PHOTOLOGY』#0005/石塚元太良《Texture_Glacier》」note、2023年
アーティスト
会期
会期: 2026年10月31日(土)– 12月19日(土) 開廊時間: 11:30 – 18:00(火 – 土) ※日月祝休廊
会場