「眼差し そしてもう一つの」

ポール・セザンヌ (Paul Cézanne) パブロ・ピカソ (Pablo Picasso) 藤田嗣治 (Tsuguharu Foujita) エゴン・シーレ (Egon Schiele) トム・ウェッセルマン (Tom Wesselmann) サイトウマコト (Makoto Saito) マルレーネ・デュマス (Marlene Dumas) キース・ヘリング (Keith Haring) 井田幸昌 (Yukimasa Ida)

2019年10月19日(土)-2019年12月7日(土)

KOTARO NUKAGA(天王洲)

KOTARO NUKAGAでは、ヌードをテーマとした絵画作品を中心に展示し、20世紀初頭から現代に至る身体表象を俯瞰する展覧会「眼差し そしてもう一つの」を開催する。
本展では、ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、藤田嗣治、エゴン・シーレ、トム・ウェッセルマン、サイトウマコト、マルレーネ・デュマス、キース・ヘリング、井田幸昌という9人のアーティストのペインティング、水彩、ドローイング等を展示する。20世紀はアカデミズムから脱却したアートが多様な身体表象を展開した時代である。アーティスト、鑑賞者、モデルなど誰にとっても自分の最も身近な存在である身体がどのように表象されたのか、その変遷をたどることは、そのまま20世紀から現代に至るアート全体やそれを取り巻く言説の変遷を追う事とオーバーラップする。本展で選んだアーティストの世代、地域、ジェンダーは様々であるが、ヌードという切り口から、表象される身体に対する作家たちの距離を眺めたい。

我々がいま共に生きる現代アートの源流となる19世紀中葉のモダニズム美術の登場以降、ヌードは多様なメディウムで、様々な作家により生産、流通、消費されてきた。20世紀を通して、ヌードという身体表象の意味は、様々な革新的運動の潮流や、ポストモダンから現代にかけてのアートの社会的役割と歩みを共にして、揺れ動き、また刷新されていった。ヌードを描く時、大前提として存在する描く者/描かれる者、見る者/見られる者という関係は、男性の文化創造の素材、つまりミューズとしての役割をあてがわれた女性と、一方で新しい造形で女性を描きだし、自らの偉大さを誇示する男性という、性差による権力維持の構造を浮き彫りにする。そしてそのメカニズムを解体することによって、身体表象は無自覚に異性愛男性的な視点を持ったものから、意図的に視線を操り、理想化された身体の虚構を暴き、性の規範を撹乱するものへと変容する。

ふりかえると、古代ギリシア・ローマの身体表象に美の規範を見出した西洋美術は、ルネッサンス以降、19世紀に至るにつれアカデミズムの制度の下、身体表象をますます規範的に理想化し、高度に様式化していった。滑らかな陶器のように温もりの無い描かれた人肌に血を通わせたのは、19世中葉以降のモダニズムの画家達であった。中でもセザンヌは、繰り返し描いた水浴図に代表されるように、身体を画面構成の造形的要素として扱い、身体表象の可能性に全く新しい地平を開いてゆく。以降、20世紀の前衛の画家たちにとって身体、とりわけ女性のからだは、芸術の様式革新を展開する舞台となり、彼女たちの身体の上でフォーヴィスム、キュビスム、未来派、ダダ、シュールレアリスム等、様々な芸術運動が展開されていく。

戦後、ニューヨークを中心に種々の新しいアートの潮流が生まれる中で、ポップアートは身体を大衆文化の中で消費されるものとして複製や反復によって記号化していく。ウェッセルマンの描くヌードは先行する身体表象に基づきつつも、視線の無い(目が描かれていない)モデルと鮮やかに強調された乳首などによって、男性の持つ根源的な性的欲求を直線的に暴き出す。一方で、このような異性愛男性による視点に基づいた身体表象の増幅は、女性アーティストの活動を抑圧し、また表象される身体は男性に見つめられるものとして因襲的なシステムの中に閉じ込められてきた。それに対して、女性アーティストであるデュマスの描く飾らない生身の女性は、このような空間から女性を解放する。本展ではデュマスの描く男性のヌードを展示する。ルネッサンス期に最も頻繁に描かれた男性裸体像である聖セバスチアヌスを思わせる、強壮な肉体とよじれた姿態は、水彩絵の具が滲むように描かれ、力強くも脆い身体を簡潔に表現している。

エゴン・シーレの描く男性像は、デュマスのそれとは対照的に筋肉はそぎ落とされ、手足は枝のように細長い。しかし共に美化された表象とはかけ離れたこれらの作品は、身体が傷つけられたり(聖セバスチアヌスは矢で射られた状態で描かれることが多い)、削られたり、弱さをさらけ出すことによって理想化された身体を解体し、自己の身体に対する愛おしい感覚を呼び起こす。

人気グラフィックデザイナーであったサイトウマコトは、印刷技術に由来する網点のような細かい点の集合で、細部が全体を構築し、全体が再び細部に還元されるような絵画を制作する。解体とも違う解像ともいえる独自の手法で新しい絵画表現を構築するサイトウの出品作品は、女性の下半身と局部のみを描く。自らの性行為の最中に撮影した写真をコンピューターで処理し作られたイメージは、身体との距離を曖昧にする。気鋭のペインター井田幸昌は歴史上、美術史上の人物から身近な人間まで、厚塗りのポートレートを素早いタッチで壮大に描き上げる。井田描く対象は、彼が人生で「出会った」者である。本展ではヌードというこれまで井田が触れていないテーマを設定することで、井田が切り開く新しい境地を垣間見たい。

また本展では、先行してNUKAGA GALLERYで行われた展覧会「藤田嗣治 –Nude–」より藤田嗣治の裸婦像を5点展示する。藤田が「乳白色の下地」と、繊細な墨のアウトラインで描いた裸婦は、身体表象の新しい可能性を示したのか?セザンヌから現代アーティストまで様々な作家と同時に藤田の作品を展示することによって、藤田の身体表象を新しい文脈の上で改めて考えてみたい。

開催概要
「眼差し そしてもう一つの」

アーティスト

ポール・セザンヌ

パブロ・ピカソ

藤田 嗣治

エゴン・シーレ

トム・ウェッセルマン

サイトウマコト

マルレーネ・デュマス

キース・ヘリング

井田 幸昌

会期

2019年10月19日(土)-12月7日(土) 11:00~18:00 (火・水・木・土) 11:00~20:00 (金) ※日月祝休廊

会場

オープニングレセプション

2019年10月19日(土) 17:00〜 会場:KOTARO NUKAGA

PRESS RELEASE