Dual Doodle Double Square

2023年7月7日(金)- 8月31日(木)

KOTARO NUKAGA(天王洲)

KOTARO NUKAGA(天王洲)では、7⽉7 ⽇(⾦)より8⽉31 ⽇(⽊)まで、⼩⾦沢健⼈の展覧会「Dual Doodle Double Square」を開催いたします。⼩⾦沢は武蔵野美術⼤学卒業後、1999年に渡独、ベルリンを拠点に活動。Manifesta(2002 年、フランクフルト)、Sharjah Biennial(2003年、UAE)、横浜トリエンナーレ(2005年、横浜)、アジアンアートビエ ンナーレ(2009年、台中)、あいちトリエンナーレ(2010年、愛知)などの⼤型国際展に参加。「KOGANEZAWA」(2009 年、Haus Konstruktiv、チューリッヒ)、「動物的」(2009年、MIMOCA、丸⻲)、「LUFTLINIEN」(2012年、Haus am Waldsee、 ベルリン)、「PAINT IT BLACK」(2016年、Stadtgalerie Saalbrücken、ザールブリュッケン)など国内外の美術館での個 展も⾏われてきました。2017年に帰国し、現在は東京を拠点に活動をしています。

⼩⾦沢は「映像」における「時間と空間」、さらにはその運動性を起点にドローイング、インスタレーション、パフォーマンスへと表現領域を拡張し、複合的なコミュニケーション⾔語の開発を通して、世界の新たな捉え⽅を提⽰するアーティストです。本展「Dual Doodle Double Square」にて⼩⾦沢は、対となったドローイングと、映像のプロジェクションによるインスタレーション作品を提⽰し、新たな表現領域と知覚体験の提⽰を試みます。

⼩⾦沢の作品の特徴は「映像」というメディアそのものをアウトプットされるオブジェクトワークとして⽤いるのみならず、画家の筆や彫刻家の鑿、写真家のカメラのように、その制作段階でも表現に影響を与える道具として⽤いる点が先ず あげられます。本展に提⽰された対になったドローイングは、三脚に取り付けられ、⼀定の速度で⾸を振るように設定さ れたカメラの前で描かれています。アーティストはカメラに取り付けられたモニタの画⾯に映った⾃⾝の⼿元、つまり絵 画「全体」ではなく「部分」だけを⾒るようにし、2枚の紙の重なりを⾃⾝の視界(カメラモニタ)の中に⼊るように動かしながら、その重なりの部分にドローイングを描きます。それによって、常に変化をするカメラの「動き」はアーティス トの視界に変化を与え、ドローイングの表⾯に間接的に影響を与えることになります。制作時間は⼀眼レフカメラの連続撮影可能時間というカメラ産業の制約的な時間に起因しており、その制作時間の終了によって「2 枚のドローイング」と 「ひとつの動画」という作品が同時に⽣み出されることとなります。これらの種類の違う作品には、ふたつの異なる「時間」に対する感覚が織り込まれています。

⼩⾦沢はこの時間軸が織り込まれた⾃⾝の作品制作を⾳楽的であると説明します。本展に先⽴って、ベルリンのギャラリ ーLOOCKにて⾏われた個展「Double Sister, Divided Brothers」で本作の特徴を「レコード盤と⾳楽の関係」を⽐較する ことによって、理解を促すように説明しています。この点への考察が⼩⾦沢の作品への深い理解へとつながると考えるた め、まずはLOOCKでの展覧会でのテキストを紹介させていただきます。

In this sense, vinyl records are peculiar things. To appreciate them, one can only listen to the linear series of sounds in sequence and from the start, but when looking at the grooves etched on the surface, visually, all the sounds are occurring at once. Speaking to this work, every moment of a drawing’s creation is documented on video and the ultimate result is a drawing being split into two sheets. One action of drawing generates one video and two sheets of paper. Is this the birth of twins? Or a singleton torn apart? Like Cubism coming from opposite directions, the act of drawing is preserved in the time of two different formats.i

レコードというものは不思議なもので、それを鑑賞するためには、頭から順番に線的な⾳のつながりを聴いていくしか ないが、盤⾯に刻まれた溝を⾒ていると、視覚的には全ての⾳が⼀度に鳴っている。この作品においても、ドローイン グが描かれた全ての瞬間は映像で記録されているが、最終的には2枚に分かれた紙ができあがることになる。1回のド ローイングから、ひとつの映像とふたつの紙が⽣成される。双⼦を⽣んだのか、ひとりが分裂したのか。逆⽅向からの キュビズムに似て、ドローイングという⾏為はふたつの違った形式の時間に保存された。

⼆⼀世紀を代表するSF作家、テッド・チャン(Ted Chiang, 1967-)の短編⼩説「あなたの⼈⽣の物語」を基に制作され2016年に公開された映画「メッセージii」で、エイミー・アダムス(Amy Lou Adams, 1974-)演じる⾔語学者である主⼈公のルイーズ・バンクスは「ヘプタポッド」と名付けられた2体の地球外⽣命体と交信を試みました。「ヘプタポッド」の ⽂字によるコミュニケーションは2 本の触⼿のような先から墨を吹き付けるようにして「すべてを⼀度に」表し、「時制」 の存在しない⾮線形の表意⽂字によるものでした。⼈類は話し⾔葉に合わせた表⾳アルファベットを⽤い、それによって 前から順に「⾃制」に捉われ世界を対象化するため、「ヘブタポッド」の「すべてを⼀度に」表現する表意⽂字の意味する ところを理解することには困難が伴ったのです。物語が進み、徐々に彼らの⾔葉への理解を進めるうち、つまり、バンク スが彼らの⾔語をメディア(媒体)として使⽤し、理解していくうちに、彼⼥はまだ起きていない出来事の記憶を持つよ うになるなど、これまでとは違った「時間」の知覚を得るようになっていくというのがこの映画の内容でした。

この「ヘプタポッド」とのコミュニケーション描いた映画のテーマと、⼩⾦沢が⽰したレコードと⾳楽の関係、さらには、 本展における「⼆つのドローイング」と「ひとつのビデオ」、これらにはわたしたちが「全体」と「部分」をどのように捉 えるのか、つまり世界をいかに認知するのかという点において、類似性を⾒出すことが出来ます。

『メディア論』の著者として知られる、マーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan、1911-1980)は、「すべ てのメディアは、本来的に、それ⾃体でそれらが伝えるメッセージに関係なく、⼈間と社会に抗しがたい影響を与える」iii と主張してきました。

マクルーハンは、先史時代の⼈類は五感の調和を保って存在しており、聴覚、嗅覚、触覚、視覚、味覚の全てを等しく使 い、世界を知覚していたといいます。しかし、技術⾰新によって、わたしたち⼈類は、⾃分たちの五感の能⼒の⼀部を拡張し、バランスを変化させてしまいました。マクルーハンによれば、表⾳⽂字としてのアルファベットの発明、活版印刷 の発明によって、わたしたち⼈類の知覚は視覚偏重となってしまったとしており、その変化を以下のように説明しました。

聴覚―触覚型部族的⼈間は、集合的無意識を共有し、神話と儀式でパターン化された魔術的で統合的な世界に住み、その価値観は神聖で絶対です。それに対して、⽂字使⽤的あるいは視覚的⼈間は、かなり断⽚化され、個⼈主義的で、明 ⽰的で、論理的で、専⾨化され、超然とした環境を作りだしますiv。

⾔語の発明後、現在を⽣きるわたしたち⼈類は「原因が結果を⽣み出す」というように因果論的に世界を認識しています が、表意⽂字によって世界を表現する「ヘプタポッド」の認識は過去・現在・未来を同⼀視する、いわゆる同時的認識様 式に基づいたものとなります。表⾳アルファベットの発明、技術⾰新によるメディアの発展がわたしたちの世界の知覚の 仕⽅を視覚的に拡張する⼀⽅で、本来のわたしたちには「時間」に対する失われた知覚が世界との間にはあったのではな いかとも考えられます。

⼀⽅、アメリカの⼈類学者のグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-1980)は著書『精神の⽣態学へ』の中で、

パターンづけられた全体のなかの、部分間の関係の親和性や不和 ―その他あらゆる関係のありよう―がそれ⾃体、よ り⼤きな全体の⼀部として情報を担っているv。

というコミュニケーションの構造を⽰し、⼈間から失われてしまった「優美さ」をプリミティブな芸術のスタイルを分析 する中、精神の部分間の統合としてその本質を探り以下のように⽰しました。

「作品が内包するメッセージ素材のどの要素が、芸術家の⼼の(意識から無意識へ⾄る)どの階層と結ばれているの か?」(中略)芸術とは、さまざまな層の無意識からの伝達の実践であると⾔える。あるいは、この種のコミュニケー ションがより⼗全に⾏われるようにわれわれの精神を鍛錬することを⼀つの機能とする、⼀種のあそびの⾏動である とも⾔えるvi。

⼩⾦沢の本展における作品は、マクルーハンやベイトソンが⽰したコミュニケーションの発展のなかで、わたしたち⼈類 が失ってしまった「時間」に対する知覚の問題であり、⼈間から失われてしまった「優美さ」がテーマになっています。 前述したレコードを例にした⼩⾦沢のことばはまさにそれを⽰しています。聴覚を通し、時間軸をもった⾳楽を前から順 に最後まで聞くこと。そして、視覚的にレコード盤の表⾯に刻まれた⾳楽全体を⼀度に⾒るということ。この⼆つの異な る⾳楽に対する知覚は因果関係という「時制」の概念にとらわれなくなった時、どちらも「ひとつの全体」を⽰した同⼀ のものとして知覚できるものなのです。

前述した映画「メッセージ」はこの失われてしまった「時間」に対する知覚がテーマとなっていました。⼩⾦沢が⾃らの制作スタイルを通して再現し、その中から⽣まれ出てくるものとして提⽰しようとしているものも、この失われた「時間」 への知覚に関するものであると考えられます。⼩⾦沢は本作で、⾃ら設定した制作条件により、意識的にアーティストは 「部分」へと意識を向けることとなります。しかし、それによって⽣み出される「2 枚のドローイング」と「ひとつの動 画」というものが⽰すものは、精神の部分間の統合によって⽣み出された「全体」となります。⼩⾦沢はカメラモニタを 通し、常に「部分」を鳴らし続けながら、アーティストの意識の外に「すべてを⼀度に」知覚する意味に溢れた「優美な 全体」をひとつの全体として作り上げます。これは、「すべて⼀度に」という、わたしたちの失ってしまった世界を捉える 知覚の構造なのかもしれません。これによって⽣まれる「2枚のドローイング」と「ひとつの動画」に織り込まれた時間が 「ひとつの全体」として知覚されるようになった時、つまり、本展において提⽰された⼩⾦沢のインスタレーションが⼀ つの全体として輝きを放ち始めた時、そこに、わたしたち⼈類が失ってしまった「時間」によって知覚する世界の姿が「優 美さ」とともに⽴ち現れるのではないでしょうか。

 


i Takehiko Koganezawa ‒ Double Sister, Divided Brothers at LOOCK(Berlin)
ii 「メッセージ」(原題:Arrival)は、テッド・チャンの短編⼩説「あなたの⼈⽣の物語」を基にエリック・ハイセラー が脚本を執筆し、ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督を務めた2016年のアメリカ合衆国のSFドラマ映画。出演はエイミー・ アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカーらである。2017年のアカデミー賞3冠(監督賞・主演⼥優 賞・脚⾊賞)
iii マーシャル・マクルーハン「プレイボーイ・インタビュー―⼤衆⽂化とメディアの形⽽上学の司祭とのざっくばらんな 対談」、エリック・マクルーハン&フランク・ジングローン編『エッセンシャル・マクルーハン メディア論の古典を読 む』、有⾺哲夫訳、NTT出版、2007年、p. 16 iv マーシャル・マクルーハン、前掲書(ⅱ)、p. 24 v グレゴリー・ベイトソン「プリミティブな芸術のスタイルと優美と情報」『精神の⽣態学へ(上)』、佐藤良明訳、岩波 ⽂庫、2023年、p. 287
vi グレゴリー・ベイトソン「プリミティブな芸術のスタイルと優美と情報」『精神の⽣態学へ(上)』、佐藤良明訳、岩波⽂ 庫、2023年、p. 297

開催概要
Dual Doodle Double Square

アーティスト

小金沢健人

会期

【開催概要】 「Dual Doodle Double Square」 会期: 2023年7⽉7⽇(⾦) - 8⽉31⽇(⽊) 開廊時間: 11:00 ‒ 18:00 (⽕-⼟) ※⽇⽉祝休廊

会場

PRESS RELEASE