A Little Closer
森本啓太
2023年7月29日(土) - 9月16日(土)
KOTARO NUKAGA (六本木)
KOTARO NUKAGA(六本木)では7月29日(土)から9月16日(土)まで、森本啓太による展覧会「A Little Closer」を開催いたします。本展は、一昨年に開催した国内初の個展「After Dark」以来、森本にとって約二年ぶりの日本での個展となり、新作のペインティングを展示します。
森本の絵画は「〇〇」であるとラベリングされることから逃れていきます。見る者が言葉を重ね、編まれた物語を紐解き、全体を捉えたと思うや否や、気がつくとするりと軽やかにそこからすり抜けます。高校を卒業後、単身カナダへ渡り、16年という長い歳月をトロントで過ごしてきたことは少なからずそれに関係しているのではないかと考えられます。森本の絵画に対する姿勢は確固たる中心的なアイデンティティを前面に押し出し、強烈に何かを訴えかけるというよりも、常に他者のいる位置に立ち、そこからの視点で対面する世界を描き出しているといえます。
一昨年の個展「After Dark」では、カナダからの帰国直後、日本とカナダという森本自身の「アイデンティティ」が揺れ動く特異な視点を通し、東京という巨大都市の夜に、人々が目的地へ向かう途中で見逃されてしまうような「何でもない場所」を一時的に私たちが現実世界から逸脱し、逃げ込める場所である「ヘテロトピア[i]」として描き出してみせました。「結果や目的」ばかりが急がされる現代の都市生活が作りだす「生きづらさ」に対して、何気ない日常を特別なものにするという「自由」、つまり、自分自身のあり方を決める「自由」は奪われることはないということを森本は絵画表現によって体現してみせたのでした。森本はすこし外側、すこし違った視点からわたしたちの中に別なる場所である「ヘテロトピア」を見つけ、多くの「共感」を生み出し、鑑賞者の心を揺さぶりました。
本展「A Little Closer」は、森本と同世代の若者の思い思いに過ごす日常が描かれた絵画を中心に構成し、「After Dark」で鑑賞者へと送ったメッセージをさらに更新することを試みています。
全体に碧みがかったやや暗めのトーンで描かれた作品《Plastic Love》では、やや高い位置から気持ち見下ろすような視点で描かれています。店の柱につけられたフックに、ハンガーがふたつ。ひとつには紺色のダウンジャケット、もうひとつは黒っぽい上着がかかっており、そちらには白いビニールにピンク色の洋服が少し窮屈そうに詰め込まれかけられている。柱の奥には白と赤の椿が飾ってある。すぐ手前には、ついさっきまで食事を共にしていたのだろうか、黄色と茶色のチェックのワンピースを着て、髪をリボンでひとつにまとめた女性が座っています。
いつのことだったろう。
きみの住んでいたこの街で
夜の街灯の下、なんてことない会話をしながら
あの商店街に向かって歩いていたのは。
五限のおわりにきみとなんとなく待ち合わせをして、
それから行くのはいつも決まった店。
食事をしにきたのに会話がとまらなくなって、
ごはんを食べに来たのか、話に来ているのかわからないくらいだった。
「じゃ、いこうか」
と、きみの大きな上着と適当に物を詰め込んだ袋をとって
ガラガラと音をたてる戸をくぐって、
近いような、はなれているようなそんな距離感で並んで歩く。
それが私のいつもだった。
それがいつもじゃなくなったのはいつだろう。
私は、もうあの商店街をあるくことも
街灯の下をあるくことも、もうないんだ。
二度とおとずれることのない
きみのいた街に
私は、ちいさく手を振った。
1960年代後半、写真表現はパーソナルな視点を取り入れることで、日常を「特別なもの」として再発見するということに一役を買いました[ii]。一方で、現代において、わたしたちは世界の多くを直接的にではなく、写真を通して見るようになっています。森本の写真を元に構成し描かれた絵画は、アーティストの思い描くフィクショナルな世界というよりは、日常の中から「特別な瞬間」として選び抜かれ、リアリティをもって描き出されていると言えます。森本は絵画制作のために撮影した写真の中から「ごく稀に絵画になるものがある」と口にします。被写体となった彼ら彼女たち、さらには彼らの置かれた背景との重なりによってそれぞれの人生には輝きを放つ瞬間がたしかにあると言えるのです。森本はまさに自身の靴を脱ぎ、相手の靴を履くようにして彼ら彼女らを理解しようとし、その輝くエモーショナルな瞬間を追い求めているのです。


今回、森本は本展において提示したペインティングにて、自身と同世代の若者たちの日常の風景に入り込み、それを描いています。それらのペイントに描かれた彼ら彼女らは、一見しては何者であるのかは特定し難いものとなっています。社会における何者であるかではなく、描かれた本人が個人として自分らしさ、つまり「自由」を獲得している時が描き出されていると言えるのです。社会から与えられた役割ではなく、自身が作り出した場所の中、その描き出された物語の主人公でいるのです。森本が「エンパシー」を活かし、描いた彼ら彼女らの人生のナラティブは、今という「時代の色」を帯び、鑑賞者の「共感」によって幾重にも重なるナラティブを生み出します。ちいさな物語の主人公はやがて複雑で大きな物語の主人公となっていくのです。
森本の作品はこれが何であるかと「ラベリング」することはむずかしいですが、その魅力は「共感」に基づくもの、さらに言えば「エンパシー」によるものであると説明することができます。日本ではともに「共感」として訳される「エンパシー」と「シンパシー」ですが、「エンパシー」とは相手の立場に立ち、自分はどうだろうと想像する知的作業といわれます。その意味で、森本の作品は根底には、アーティストの自己主張ではなく、常に描かれる他者側の立場に立つ森本の「エンパシー」が流れているのです。
この他者理解としての「エンパシー」について書いたコラムニストのブレイディみかこ(1965-)は「エンパシー」の必要性とともに「帰属性のアイデンティティ」について著書『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』の中で書いています。
帰属性のアイデンティティは各人がまとっている皮膚に描かれた複数の模様のひとつに過ぎず、それらの模様の組み合わせが一人一人違うからこそわたしたちはユニークな唯一無二の存在であり、その模様の集合体をわたしたちは「個としてのアイデンティティ」と呼んでいるのだ。(中略)どれか一つが「本当の自分」と思い込む必要もないし、誰かから「これが本当の君の顔だ」と決められる筋合いもない 。
他者理解である「エンパシー」には、個人のアイデンティティへの「ラベリング」が無意味であること、既成概念を溶かし、それらに抵抗し、人を自由にする「アナーキー」な力が必要であると言います。彼女は、社会や組織のために個人があるのではなく、個人のために社会や組織があるのでなくてはならないということを示しているのです。
巨大化し過ぎた資本主義、加速し過ぎた情報化社会という現代において、わたしたちはこの自分らしくいる「自由」を見失いかけてはいないのだろうか…ということがまさに問われています。現代社会における多くの個人がSNSによって比較し続けられ、加速する消費に巻き込まれ疲弊しているのです。さらには、帰属性のアイデンティティを押し付けられ、「あなたは何者です」とラベリングをされ続け、社会や組織のために生きる脇役に追いやられてしまっています。2021年、Art Review社のPower100 において第10位にも選ばれ、アナキストで人類学者、日本でも『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』の著者として知られるデヴィッド・グレーバー(David Rolfe Graeber、1961-2020)はアナキズムと民主主義はほとんどイコールで結ぶことができると述べました。社会システムによる「ラベリング」に抵抗し、自分が何者であるのか、何を良しとし、どんな瞬間を美しいとするのかといったことを他者の手に委ねないこと。このことこそ人間が人間らしく生きる上で最も重要なことであり、それが大きな自由を獲得することにつながるのだということを森本は自身の絵画を通して提示し続けてみせています。
ぜひ、ご高覧ください。
アーティスト
森本啓太
会期
【開催概要】 「A Little Closer」 会期: 2023年7月29日(土)- 9月16日(土) 開廊時間: 11:00 – 18:00 (火-土) ※日月祝休廊
会場